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インテグラル理論から眺めた茶道の発達段階

こんにちは。ヨシミツダです。
今日は、最近勉強しているインテグラル理論のフレームから眺めた時の茶道の発達段階について考える機会があったので、ご紹介したいと思います。

私自身茶道をやってきて、他の日常生活にどれだけ役に立っているのかわかっていない部分がありましたが、今回インテグラル理論のフレームで整理することで少し理解が深まったと感じています。

インテグラル理論について

そもそもインテグラル理論ってなんなのというつっこみがあると思うのですが、日本ではインテグラル理論そのものよりインテグラル理論を応用したというティール組織の方が有名だと思います。

この本は、これまでの官僚的な組織に変わるフラットな組織モデルとして議論を巻き起こしました。私もティール組織の本を読んでいたときは、ティール組織自体に関心はあったものの、インテグラル理論のことは全く頭に残っていませんでした。インテグラル理論では、発達段階を色で示すのですがティールというのもその発達過程の色のひとつです。ティール組織自体の話については、また別途記事にしたいと思います。

インテグラル理論との再会

時はたち、自己成長や組織成長の基礎理論となるような理論をネットで探していた時にとある方のブログで再会したのがインテグラル理論です。
この理論は21世紀のアメリカを代表する思想家の一人ケン・ウィルバーが提唱する理論です。

インテグラル理論とは人、組織、社会、世界の全体像をつかむためのフレームワークであり、発達モデルなのですが簡潔に説明することが難しい理論です。おそらく応用範囲が広く、表現が抽象的であり、かつ一部スピリチュアルやシャドーなど理解が難しい話があるためそれほど普及していないのだと思います。しかし、私は不安定、不確定なこれからの時代に対して無限の応用の可能性を秘めた理論だなと感じています。今回は、その一部の話しかしませんので、興味のある方は下記の本などを読んでみてください。

上記の本は最初から読むと難しいという話があったので、私は下記の入門書から読み始めました。

さらにこのインテグラル理論を個人で実践するためのプラクティスにブレイクダウンしてくれているインテグラルライフプラクティスについて紹介してくれている下記の本をベースに今回茶道の実践における発達段階を考察してみました。

インテグラル理論の四象限

インテグラル理論の最もベースとなる話として個人と集団、内面と外面の軸で考える四象限の考え方があります。こちらについて説明します。

インテグラル理論の四象限

インテグラルライフプラクティスではこの四象限のことを存在の4つの領域と呼んでいます。それぞれ説明します。

個人的な内面

I空間:個人の内面的な部分です。
例としてあなたの思考、感情、意図、心理などが該当します。

集合的な内面

We空間:集団の内面的な部分です。
例としてあなたの関係性、文化、共有された価値観などが該当します。

個人的な外面

It空間:個人の外面的な部分です。
例としてあなたの物理的な身体、行動などが該当します。

集合的な外面

Its空間:集団の外面的な部分です。例としてあなたのおかれている環境、社会的な構造と機構が該当します。

インテグラル理論ではこれらの四象限の各象限の視点について偏りがでないように発達することを進めています。すなわち各象限での発展、成長が統合的(インテグラル)に行われることを推奨します。インテグラルという意味は他の意味でも使われることがありますが、この統合的な発達のプロセスを示すところがインテグラル理論の特徴だと感じます。


さらにこれらの四象限の考え方に加えて、インテグラル理論では論理の発達は次のように進んでいくと定義しています。ウェルバーによると人間の発達とは自己中心性(self-centricity)が減少していくプロセスと定義できるそうです。下記のように世界が広がっていく感覚がお分かりになるかと思います。
1.me(自己中心的)(前慣習的(pre-conventional)段階ともいいます。)
他の存在に注意は向かず自分を中心に考えている段階
2.us(集団中心的)(慣習的(conventional)段階ともいいます。)
自らが所属する共同体のことを考えらるようになるが、他の共同体には関心をむけられない状態。
3. all of us (世界中心的) (後-慣習的(post-conventional)段階ともいいます。)
あらゆる人間に対して愛情と感心を向けることができる状態。
 4.all sentient beings (宇宙中心的) (後・後-慣習的(post-postconventional)段階ともいいます。)
すべての生きとし生けるものに感心を向けることができる状態。

茶道における発達のプロセス

前慣習的段階

前慣習的段階(自己中心的)

前慣習的段階における茶道を学んでいる状態としては、幼少期などに親のすすめなどでお稽古をはじめるようなケースが当てはまると思います。
どちらかというとおいしいお菓子を食べたかったり、お話したり、きれいな着物を着たりというような生理的な欲求に近い動機をもとに行動をしている状態です。外発的な動機付けが強く、礼節や忍耐を社会で学び始めてほしいという外部環境の影響を強く受けています。外部との関係性も習い事の中で報酬の対価として、まずは黙って言うことを聞く、我慢するというような態度を求められます。

慣習的段階

慣習的段階(集団中心的)

慣習的段階になると、個人の生理的な要求というよりも初期の美意識の芽生えや知識欲が現れ、また茶道を習得する集団(社中)内での一定の承認要求を求めるようになってきます。ある程度大人になってから茶道を習い始めたりする時の状態です。また、そういった集団(社中)の中でも一定の役割を求められ、単純にお茶を点てるだけでなく、茶道を習うということに付随する行動(お茶会での決められた役割、お茶会準備時の掃除、お稽古の前後の準備と後片付け、先生への贈答、各種お礼の手紙を書くなど)も行うようになります。この段階では所作の美しさなども承認欲求の一つとして気にするようになります。しかしながら、所作の上達意識は自己が所属する集団(社中)内に意識がそそがれ、たとえお茶会を開催していたとしても、自分の役割を果たすことに精一杯で社中の外へ意識が向けられることは少ない状況です。また、この段階では茶道は完全に習い事として取り扱われるため、日常とは別のものとして取り扱われます。

後慣習的段階

後慣習的段階(世界中心的)

お稽古をある一定期間行っていると、一通りの所作はできるようになり余裕がでてきます。この段階が後慣習的段階のはじまりです。所作の形のみならず、利他の意識、おもいやりの意識からくるいわゆる「おもてなし」の行動を意識するようになります。また、集団の内面であるWe空間では日本文化、歴史に至る理解や、もてなす人/もてなされる人としての心構えも共有されるようになります。集団の外面的側面であるIts空間でも、単なる習い事の範囲を超えて日常的なシステム/環境に統合されていきます。茶道という行為がビジネスや異文化交流のコミュニケーションとして使われることもあります。

この後慣習的段階は最も長い時間を要する発達段階ですが、この段階では倫理的実践のひとつとして、自らの行動(右上象限)と意図、約束、決意(左上象限)を統合しようと真摯に取り組みます。(インテグリティ(信頼性)の人格的統合)
多くの人たちはこの段階に留まり続ける、もしくはこの段階のまま卒業する(やめる)方が多いと思います。

後・後慣習的段階

後・後慣習的段階(宇宙中心的)

後・後慣習的段階はさらに次の段階です。インテグラル理論がちょっと苦手という方には、その中にスピリチュアルという話やシャドーという心理学的要素が現れるからという方もいるかもしれません。しかしながら、この段階までくると茶道の実践は非常にスピリチュアルな実践になっていることを想像します。想像しますといったのは、私も到底この段階には及んでおらずあくまでインテグラル理論の成長ラインからの想定になるからです。ご容赦ください。

後慣習的段階では、おもてなしの心で行うといいながら、お茶会に参加したときに強要している気配、自己陶酔的な気配が漂うことを消すことは容易ではありません。

こういった、気配を消すためには真の献身に至るために自己を開き、そしてある「閾値」を超えることが必要になります。

そのために必要なのが「悔悟(かいご)(repentance)」です。

悔悟の説明は、ちょっと難しいのですが、私の理解では「今この瞬間が自分にとっての贈り物(ギフト)であることだと実感を伴って理解すること」だと解釈しています。

意識的な生活のすべての瞬間が---とりわけ、今ここにある瞬間が--深淵で驚異的な贈り物であるということ、それが実感を持って理解される時、胸(ハート)はしぜんと真に開かれることになります。

中略

こうした明瞭さとともに、正しい行動をすることに対する決心と責任が芽生えます。奉仕は、内発的な超論理的な献身として、自然に為されることになります。
INTEGRAL LIFE PRACTICE

心の底から献身的に奉仕することと言えるかもしれません。
(マザーテレサなどの一部の超人的な人でなければ達していない心境ではないでしょうか。)

また、この段階では心と体が真に統合された状態となっており、おもいやりはもはや愛の域に達しています。意識と感覚の境界も溶解しており、よく言われる茶道の禅的な部分はこういったところに感じることができます。おそらくですが、市井のものでは習うことのできないお点前には呼吸法すら規定しているお点前があると思います。Weの領域は死生観にまで影響を与えており、文字通りの一期一会を心の底から大切にしている状態とも言えます。
明日死ぬかもしれなかった戦国時代では、文字通りの一期一会も本当にあったのだと思います。

Itsの空間も拡張しており、あらゆる自然秩序や生きとし生けるものをシステムとして統合しています。

概念としては、旬、季節、自然、もののあはれ、わびさびなどが環境として認識され、統合されます。

自然を自らの茶室の背景とする借景や、千利休が完成させた侘茶、百人一首などもこういった、システム・環境の捉え方の産物だと思います。

ビジネスシーンでの活用

よく茶道はビジネスでも役に立つといわれますが、個人的にうまく伝えきれていないことが多いように感じます。

ビジネスに役に立つ部分は、茶道の慣習の一コマ一コマに一過性の感心をするのではなく、実践(プラクティス)と個人・集団関与のメカニズムをつかむメタの視点にあると思います。

少しわかりにくいので、具体例を挙げると「そうじ」や「あいさつ」という簡単な実践(プラクティス)(It領域)は、集団の内面的意識(We領域)に働きかけます。
意識的、もしくは無意識的に感謝や信頼の念がつくられ、集団の内面的意識は個人の内面的意識に作用します。これが小さいながら個人にインクージョンの意識を生みだします。「そうじ」、「あいさつ」は例えですが、このような集団の内面的意識と交流する個人の小さな行動により、個人も集団も健全な形に発展していくことが可能になります。

組織崩壊する会社によくみられる特徴としてこの「そうじ」や「あいさつ」をしないという特徴がみられるそうです。

この状態から2つの危うさを推測することができます。つまり、個人の内面的意識(I領域)が「あいさつ」や「そうじ」ができないほどすさんでいるか弱っているというシグナル、それと集団の内面的意識が個人の行動により作用を受けていないというシグナルです。

かなり単純化していますが、あたらずとも遠からずだと思います。

茶道から学びビジネスに活かせることは、このメタな視点からみる作用・反作用のメカニズムと発展の仕組み、シンプルな実践(プラクティス)を起点とした個人と集団(組織)行動の質の高め方だと思います。

実践(プラクティス)そのものはただお茶を点ててそれを喫茶するという非常にシンプルなものでありながら、インテグラル理論の四象限をすべて深淵な状態に高めていけるというデザインが茶道の持つ可能性を高め、かつ奥深いものにしているのだと思います。

長くなってしまいましたが、インテグラル理論はまだまだいろんなことを思索するために使える気がしています。また何か思いついたら共有します。

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