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内なる生を取り戻す営み

最近偶然にも同じようなタイプの示唆を与えてくれる2冊の本に出会いました。
千葉雅也さんの『センスの哲学』という本と、谷川嘉浩さんの『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』という本です。

この2冊は特に共通の話題について書かれているわけではないのですが、私がうっすら感じていたアテンションエコノミーに侵食されすぎない生活のあり方についてヒントを与えてくれる本でした。

地域の祭りで感じた個人化の進む現代

最近地域の祭りをみてて感じたことがあります。普段こんなに人がいたのかというくらい人が溢れていて、特に車椅子に乗った老人達がお互いの健康を確認し合っている、そんな景色を多く見かけました。そうかと思えば里帰りしていると思われる若い夫婦が幼い子どもと見物をしていて同窓の旧友達と近況について会話をしていたりする。

社会学で「職業やライフスタイルや人間関係や消費などのあらゆることが、 社会の規範や規制と いった枠組みによらずに、個人の選択の対象になってきたこと」を個人化と呼ぶらしいのですが、そうした個人化を感じるこの社会の中で、この祭の公共性は異常なレベルで高いなと感じます。
これだけの年齢層が主体的に興味を持てるものなど、他に存在するのだろうか、そう感じた出来事でした。

自分の興味が共有できないことが前提かもしれない社会

祭りの特異さを感じた時にいつのまにか、人と同じ興味、共感を得ることが難しい社会になっていることに気がつきます。
SNSは、そんな私たちに共感を強引に求めてきます。ニュートラルな気持ちでいると、ドーパミンが求める惰性的刺激としてそのメッセージを受け入れてしまってます。
かといって、誰にも共感されないかもしれない、でも自分が興味があることに没頭していくのは孤独なものです。

しかし、その孤独こそが大事であり、そして楽しみの見つけ方をこの2冊の本が教えてくれいるように思えるのです。

意味を求めず、まずリズムとして感じたことを並べていく、そこからの逸脱を認知していく、『センスの哲学』ではそんなアプローチが紹介されています。

そして、『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』では、成功譚のバイアスに警鐘を鳴らして、既存の目的駆動の計画的キャリア感を否定して、もっとライブ性、自身の衝動を大切にして、自分個人の偏りや特性を踏まえ、目的や戦略をあれこれ試し続ける実験的マインドの重要性を説いています。

聖者のようにすべての情報をシャットアウトして、脱世俗的に生きることを勧めているのではなくて、

世界から何の影響も受けないことは不可能
自分は多孔的で、他者からの影響を避けられないという前提に立ち、影響を受けやすい自分をどうやって乗りこなすかを考える

という前提を持つ。そのために

自己を注意深く繊細なメディアに変化する
実験が感受性を起動させる
小さな実験を繰り返して衝動を感じやすいメディアにする

という風にむしろ自分の感性を開く。

溢れるキャリアの成功譚、アテンションエコノミーで時間を浪費してると感じている方たちにおすすめしたい本です。

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