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パロールが足りない

最近、ものすごく浅くですが、現代思想の入門書を読んでいて、その中でジャック•デリダという人に提唱された「パロール」と「エクリチュール」という言葉が興味深かったので紹介したいと思います。
なお、専門的な話は現代思想に詳しい人にお譲りして、今回はあくまで私が気づいた浅い話の紹介です。現代思想に興味を持った方はその道の入門書を読むことをおすすめします。

パロールとは、「話し言葉」を意味しており、個人的な表現や感情、瞬間的な思考など、即興的で自己の内面を表す言葉を指します。

一方でエクリチュールとは、「書き言葉」のことを意味していて、言葉を文字として表現することにより、言葉が外に向けられ、他者に対して意味を持つことを指します。


面白いなと思ったのは「エクリチュールは一つの場所に留まっておらず、いろんなところに流れだして誤解を生んでいく」という表現で、デリダによれば、言葉は一定の意味を持っているように見えるのですが、実際には使われるたびに少しずつ意味が変わっているそうです。

この話を聞いた時に、とにかくローコンテキストに文書化する、いわゆるGitLabハンドブックに書かれているようなコミュニケーション方法の限界が見えたような気がしました。

つまり千変万化する人の感情は、エクリチュールの形で表現しても、そのコンテキストは定まらず、ノイズのような言葉にしかなりません。
そのため、そのような言葉は、たとえばSlackなどのチャットツールを使っていたとしてもバサッとカットされがちです。

人の内面に迫ろうとする時には、パロールがどうしても必要で故に直感的にリモートを解除したがる会社が多いのでしょう。
つまり、コミュニケーションの感情的で個人的で、即興的な部分です。

これらの要素は、エーリッヒ•フロムが紹介している愛の技法の中心を成す核心的な要素です。
これらの要素がない組織は個人の孤立の問題を回避できず、それがいくつもの問題を生み出すでしょう。

エクリチュールでも、パロールのような効果を意図することはできるでしょうが、それを意識してコミュニケーションの表現をガイドしている組織はそんなに多くないと思います。

瞬間的で、感情的で、そして即興的な言葉

パロールをもっと組織に注入していければ、組織はもっとよくなる気がしてます。
同じ言葉でも意味が違う。言語学の分野になると思いますが、個人的に興味深いです。

また、この分野で気づきがあれば共有したいと思います。ではまた。

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