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男性も女性もお互いに尊い存在です。(大和言葉で読み解く古事記)

続いてのお話しは、「二神の結婚」の段落です。
前回の記事は、こちらをご覧下さい。


オノコロジマ(地球)が完成し、その中でクニ(活動する環境)づくりをはじめます。
クニづくりを行う為にイザナキとイザナミが結婚します。

古事記に関して、男尊女卑を煽るようなものだというイメージを持っている方もいらっしゃるようですが、全くそんなことはありません。

聖書のようにアダムの肋骨からイブが誕生したのではなく、イザナキとイザナミは同時に出現していること、また、お互いに話し合ってまぐはひを行っていることなど、男女どちらかに優劣をつけるのではなく、お互いが対等な立場で尊重し合っていることが伺えます。

それでは、内容を一緒にみていきたいと思います。

まずは、読み下し文です。

その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。ここにその妹伊邪那美命に問ひたまわく、「汝が身は如何にか成れる。」
ととひたまへば、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処あり。」
と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処あり。故、この吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ。生むこと奈何。」
とのりたまへば、伊邪那美命、「然善けむ。」と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、
「然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む。」
とのりたまひき。
かく期りて、すなはち「汝は右より廻り逢へ、我は左より回り逢はむ。」
と詔りたまひ、約り竟へて廻る時、伊邪那美命、先に
「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、後に伊邪那岐命、
「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹に告げたまひあいく、「女子先に言へるは良からず。」
とつげたまひき。然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも亦、子の例には入れざりき。

その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。

その島というのは、オノコロジマ(地球)のことです。

そして、御柱(ミハシラ)を見立てました。
ミハシラとは、ミという本質と地球におけるイマとを繋ぐものだと私は感じています。
現代風に言うと「理念」ということでしょうか。
さらに、八尋殿(ヤヒロドノ)も見立てました。

ヒトヒロ、フタヒロという風に手を広げて長さを測ります。ヤは沢山を表しますから、ヤヒロとは、沢山手を広げるぐらい大きいという意味になります。

見立てるとは、服を見立てるというように、何かを作ったり、モノゴトを始める時に使います。

「地球に人類が誕生し、そこでの理念(修理固成)を定め、活動するための大きな家を作りました。」

ここにその妹伊邪那美命に問ひたまわく、「汝が身は如何にか成れる。」
ととひたまへば、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処あり。」
と答へたまひき。

理念を定め、家を作ったところで、イザナキがイザナミに問いました。

「あなたの身体は、どの様に作られていますか?」

イザナミが答えます。
成り成りてと二度言っていますので、しかっりと成り合わさっていると強調しています。

「私の身体は、しっかりと出来上がっているのだけれども、一箇所だけ成り合わさっていないところがあります。」

ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処あり。故、この吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ。生むこと奈何。」

イザナキは言いました「私の身体は、しっかりと出来上がっているのだけれども余っているところが一箇所あります。私の余っているところをあなたの合わさっていないところに入れて、クニを産みたいと思うのですが、どうでしょうか?」

結構、ダイレクトな求婚ですが、これが人類史上初のプロポーズということになるんでしょうね。

日本人は、はっきりせず曖昧だとか言われますが、現代社会では行き過ぎた感のあるプロポーズです。今の社会でこんなこと言っても誰も受け入れてくれないでしょうね💦

クニとは、国土という活動する環境を作りましょうということになります。

あと、生むこといかに?と同意を求めているところは、よくよく噛みしめたいところです。
何事も誘う側、誘われる側、お互いの同意がなければモノゴトは上手くいかないということを伝えてくれているのだと思います。

とのりたまへば、伊邪那美命、「然善けむ。」と答へたまひき。

イザナミは「いいですよ」と答えました。

イザナミもドンと受け入れるんですね!
「しかよけむ」ってカッコイイです。でも女性から「しかよけむ」って言われたら引いてしまうかも。

ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、
「然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む。」
とのりたまひき。

イザナキは言いました「そうしたら、御柱(理念)を回ってから、まぐはひ(性交)をしましょう」

かく期りて、すなはち「汝は右より廻り逢へ、我は左より回り逢はむ。」
と詔りたまひ、約り竟へて廻る時、伊邪那美命、先に
「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、後に伊邪那岐命、
「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹に告げたまひあいく、「女子先に言へるは良からず。」
とつげたまひき。

お互いが納得して、そうしたら「あなたは右から回って逢い、私は左から回って逢います」と言いました。その様に約束をして回っている時にイザナミが先に「なんとまあ、いい男ですね。」その後にイザナキが「なんとまあ、いい女ですね。」と言いました。言い終えてからイザナキがイザナミに「女性が先に言ったのは良くない。」と告げました。

ここは、陰陽の順番があるということを知らせているのです。
モノゴトには、全て順番があるということだと思います。

然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも亦、子の例には入れざりき。

そのまま、まぐはひを行い生んだ子は、ヒルコ。葦船に入れてすてました。次にアワシマを生みました。この子も完全ではありませんでした。

ということで、あえて失敗例を掲載しています。

こうしたところが、古事記が物語として面白いところだと思います。

次回は、この失敗に対して単純にやり直すのではなく、相談をして更に占ってということをするんです。
何とも味わい深いのですが、詳しくは次回をお楽しみに〜!

【参考文献】
古事記 倉野憲司校注 岩波文庫
縄文のコトダマ 林英臣著 博進堂
やまとことば伝説 林英臣著 博進堂
大和言葉の世界観 河戸博詞著

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