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読書感想「日曜日の人々」

ときに私は、誰かに何かを伝える為に、身体を裂いていると感じます。だから傷口は言葉だと思うことがあります。でもいったい肉体を裂いて、誰に何を伝えたいのか、自分でもよく分かりません。(本文9頁)

ご無沙汰しております。
久々の読書感想です。

今回読んだのは高橋弘希さんの「日曜日の人々」です。


物語は主人公の航が従姉の自殺をきっかけに、その死に関係していると思われる謎の集団「レム」との接触を試みるところから始まります。
レムは、拒食症や盗癖症、不眠や自傷行為など、多種多様な苦悩苦難を抱えてきた人々が集まる場所でした。
そこに集う男女は、自らの半生を言葉として原稿用紙に書き綴り「朝の会」と称してメンバーに発表、それらの原稿を「日曜日の人々(サンデーピープル)」と題した冊子にまとめていました。

しかしこの会には不穏な陰の部分もあって、それは会員の中から数名の自殺者を立て続けに出しているという点でした。

死の匂いの漂う空間に長い期間身を置く中で、航自身も次第に死がもたらすものの先へと引き寄せられていきます——。


読み進めているうちに感じたのは、高橋弘希さんの描写力の凄まじさでした。
自傷行為のシーン、刃先を腕に当てる肉感や痛々しい凄惨な場面、人間が死にかけ、肉塊と化す過程の蝿と蛆の巣窟、その惨たらしさ……ページをめくるのが思わず憚られてしまいそうなほど鮮烈に脳裏に焼きつく光景ばかりでした。流石は芥川賞作家です。。。

僕は読解力にそこまで自信がないので、読んだ物に対して感じたり思ったことを述べる「感想」しか書けませんが、この作品は「言葉の無力さで空いてしまった傷口を、言葉をもって堰き止めたい」そんな小説なんじゃないかと思いました。

言葉は傷口そのもの、という台詞が作中では出てきます。
傷口は隠せても、内に秘めた感情までは隠しきれない。だから言葉を選んで、原稿用紙という形あるものに残し、それを聞くともない誰かに聞かせる。
感情を言葉で伝えるということは、自傷行為そのものでもあるのかもしれません。

誰しもが内に秘めた感情を取りこぼさずに言葉にすることなんて出来ないでしょうし、それが出来たら小説なんてものは存在しないだろうなあ、とぼんやり考えたりもしました。

とにかく、航とひなのちゃんには幸せになって欲しいと切に願っています。

そして、奈々さんには報われて欲しいです。

それでは、またいつか。

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