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挨拶がなぜ大事なのかを考えてみた



最近、寝つきが悪いです。



それもそのはず、最近気温が上がり、ただ冷房を付けるまでもない、一番微妙な気温です。


そんな夜は、最近は自然と無理に寝ようとせずに、もう寝る寸前だなというところまで動画を見てから電気を消すということをやっているのですが、そうなると自然に寝る時間が遅くなってきます。


ただ、その代わりに寝ることにそこまでストレスフルではなくなるという面もあり、寝る時間も無理に寝るのと時間は変わらないのではと思ったりします。



そして、その寝るのが遅くなっているこの時期に合わせたかのように、来週からヨーロッパの4年に一度のサッカーの大会ユーロ2024が始まります。



wowowで放送されるそうで、もう今から楽しみです。


眠れない暑い夜を、熱い夜に変えてくれるこれからが楽しみです。



さて、私はSNSのトレンドを見る方ではないのですが、友人との会話で、「最近、挨拶したくない人が増加っていう動画がバズってるんだけど~~」
という話題が上がり、気になって調べて見たら、挨拶の必要性、挨拶をしないという自由について議論が上がっていました。


これに関しては、トレンドになっているからではなく、元々挨拶については価値観を持っていたので、それをこのタイミングで記事にしようと思います。


まず、「挨拶をしたくないという自由」については、否定は100%しません。


私も自分から話しかけるのは本当に苦手で、挨拶をしたくないという人もいれば、挨拶をしたいけどぎこちなくなってしまうから挨拶をしたくないという人もいます。


ただ、一方で話題になった動画の中で、「会社の人から挨拶をされてそれに対して挨拶をしない自由」について話されていました。


私は、「自分からする挨拶」と「挨拶をされて返す挨拶」を分けて考えた方がいいと考えています。


先程述べたように、前者は本当に自由だと思います。


一方、後者は、変な話「話しかけられている状態」、つまりコミュニケーションを取ろうとしている状態です。


つまり、そこで挨拶を返さないというのは、無視に当たってしまいます。


私が、「挨拶をしたくないです」という人と身近に接するとするならば、まず「それは自分からの挨拶だけなのか、返す挨拶も含むのか」、「後者ならば、そもそも言葉を無視するという行為に対してどう思っているのか」を聞き、もし無視という行為に対して別に無視は全然しても良いという価値観だった場合、挨拶をしない自由は合理的で、自分も納得します。


しかし、そもそも無視という行為は人間関係の糸を切らす容易な行為であるというのは間違いありません。


最後に、挨拶は
「人からどれだけ愛されたいか、愛したいか」
という価値観の違いと思っていて、そこで挨拶に対する大事さは変わってくると思います。



つまり、挨拶を大事にする側のスタンスとしては、挨拶をしっかりする人に対しては、「人に愛されたい愛したいという価値観だから、こっちも普段から愛を注ごう」、挨拶をしないという人に対しては、「その価値観を持っていないから、愛を注ぐのはほどほどにしよう」という分け方をするのが良いのかな、と思っています。



ちなみに私は、コンビニで店員にその日の客誰よりも大きな声で「ありがとうございます。」を言うというミッションを課している挨拶ガチ勢です。(笑)

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