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東京オリンピックの開催可否は、カードで決めればいい  ~中村文則『カード師』を読んで

東京オリンピック開幕式の予定日まで残り約1カ月半。

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開催するか否か、この際「カード」で決めてみたらどうだろうか?

中村文則の小説『カード師』を読み終えてからふと、そんな妄想が湧いた。

以下、戯言と思われても仕方のない思考実験によろしければお付き合いください。

まず現代において、何ごとかを判断する際に一番の基準とするのは、科学技術を基礎とした数字だ。

ならば、AIやスーパーコンピューターがオリンピックを開催した場合としない場合のメリットとデメリットを数値化したもの(感染者数・死亡者数・医療費・経済効果と損失、等々想定される要素を総合して平均化した一人当たりの幸福度)をはじき出して、それを意思決定の根拠にしたらいい…と、思う。

しかしそんな数値は聞いたことがないし、そもそも人間の幸福度自体も一律に測れるものではないし、総合することも不可能だ。

では私たちは何に従って、オリンピック開催に一日一日進んでいるのだろうか?

一言でいえばそれはニヒリズムだ。それは「コロナウイルス」というよりも、国際的巨大スポーツビジネスである「オリンピック」という目に見えない巨大な流れを前に、諦めて従うしかないという虚無の時代感情

この感覚、何かに似ている。

それは、生きることそれ自体との類似だ。

私たちはこの世にうみ落とされ、生きることを強いられている。そして自分が生まれ育った家庭と義務教育過程を強いられ、ある企業に就職したらその組織の利益追求のための行動を強いられる。(個人として生きる強制と環境からの強制は、入り混じる)

そしてまた今度のオリンピックに限らず、生きていれば往々にして、何らかの重要な「選択」に直面する。選択は怖い。間違うかもしれないから。


科学技術を基礎とした専門家の意見を「自主的な研究の成果」として恣意的に除外するならば、政治家は何を判断の基準としているのだろうか。彼らも何か大きな流れに従っている。

それはもう、カードという偶然性の成果に頼っても同じなのではないか。

カードで出た結果を採用して、一方の選択を信じることで、もう一つの選択肢を消せばいい。そうすればどの道を進んでも、結果を受け入れて前向きに生きていける。


妄想をもう少しだけ進めたい。


小説『カード師』で、主人公の男=カード師は、タロットカード占い師(占いを信じていない)と違法カジノのディーラー(イカサマも辞さない)という二つのアブナイ仕事を持っている。


①タロットカードで「決める」

小説中、タロット占いの起源が十八世紀ヨーロッパの「オカルト」ブームから来ていること、カードの意味も後付けであることが明かされ、次のように続ける。

ではタロット占いは偽りか。そうとも言い切れない。僕のような人間ではなく、本当に力のあるものが使用した場合は。

「本当に力のあるもの」例えば、内閣総理大臣。


ちなみに本書にはヒトラーの占い師・ハヌッセンの話も出てくる。
ヒトラーによるナチス独裁政権誕生には、占い師が少なからず影響していた。


もしこの国の為政者が、東京オリンピック開催可否をカードによって占って、いずれの結果が出たとしても、それによって「決める」ことができる。

ここから分かるのは、今のオリンピックを巡る状況は、誰も責任を取りたくないから「決める」ことを先送りしているにすぎないということだろう。


②カジノ(ポーカー)で決める

開催派、中止派の二者で、ポーカーで勝った方に決める。

この本の中で描かれる違法カジノのポーカーは、と、実力(相手の表情を読み、自分の表情をいつわる。そして負け幅を最小化し勝ち幅を最大化する判断力)と、イカサマの競技である。なお序盤の主人公は、ディーラーとして特定のプレイヤーを勝たせるようにカードを操作(イカサマ)する、いわばゲーム上での「神」の位置にいる。

現実のオリンピックについても本来ならば「実力」のある方が決定権を持つべきであるが、どうやら得体の知れないディーラー(カード師)が勝敗の区別をあいまいにしたまま、最後には開催側を勝たせる、という裏シナリオが進行中のようだ。

どちらにせよ、ポーカーでも「決める」ことには繋がる


妄想してみてわかったこと。

「カード」によって「決める」ことができる一方、特定の人物により意図的に結果が操作された場合、その人物の意志によっては世界が良くも悪くも変わる可能性がある。

コロナ禍の状況での五輪開催は、開催するにせよしないにせよ、日本の負けは決まっている、と私は思う。少なくとも早く「決める」ことによって、どちらの選択であっても負け幅を少なくできたのではないか。

決められないならば、「カード師」に決めてもらったらいい。そう思ったのだ。

小説『カード師』のストーリーには全くと言っていいほど触れずに終わってしまった。

とにかく現代は、「カード師」が求められるような危機的な時代状況であり、中村文則はそのことに極めて自覚的に書いている。

現代的ニヒリズムを凝縮したような主人公のカード師は、ある依頼人の事件に巻き込まれるにつれて、自らの人生を変えられるか。

相手の表情や息遣いの小さな変化を逃さない、カード師たちの騙し騙されの駆け引きの展開にはヒリヒリ、ヒヤヒヤさせられる。

私たちは皆、未来という先の見えないカードを裏返してそれを解釈しなければならない「カード師」だ。

コロナ時代に希望を失わずに生きる、本当の智恵をもらえる小説だ。




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