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長野癒しの旅〜後編

初カプセルホテルは、なかなか勝手がつかめなかった。たぶん、かなりキレイで設備も整った方だとは思うけど、疲れてたので、普通にビジネスホテルの部屋で荷物広げたり着替えたりしたかった。
最初は今すぐチェックアウトして他のホテル探そうかと思ったくらい。でも、何事も経験だ。

寝心地が悪いわけじゃなかったけど、ほとんど眠れず、クマがクッキリできた顔で朝を迎えた。

浜松町駅のコインロッカーに荷物を預け、早朝散歩で目指すは東京タワー。
昨晩は、ホテル10階のラウンジから夜のタワーが見えて、すごくエモかった。そこで八幡屋礒五郎のスパイスマカロンを食べた。美味しかった。
にしても、朝7時から、暑いこと。10分くらい歩いただけで、汗がダラダラ、、


カフェルノアールにいる。
8時半を過ぎてお客さんが増えてきた。
そろそろ出るか。

蒸し鶏のサンドイッチを食べながら、昨日の朝食を思い出していた。風が心地良すぎて、何もかも美味しくて、景色が美しすぎて、夢のようだった。

春は庭の山桜がとても綺麗と聞いて、次は誰と一緒に来たいかなあと思い巡らせていたその時、常連らしきカップルのお二人にオーナーさんが、「そういえば、言ってましたっけ、今年いっぱいで辞めるんですよ」というのを聞いて、思わず涙ぐんでしまった。

宿泊のみは受けるかも、とは言っていたけど。

なぜ、涙ぐんでしまったのかと言うと、その前にもうひとつ、庭の雑草取りにおばあちゃんたちが集まってきて、黙々と作業をしている姿を見たというのもある。

なんか、みんな高齢で、こういうことすべてが、そんなに長く続くわけじゃないんだと感じてのことだと思う。

次は、当たり前にあるものじゃないんだなと。
それが、ものすごく切なかった。
あるかもしれないけど、ないかもしれない。

一期一会か。

隣のテーブルを片付けに来た奥さんに、「気持ちいいでしょう」と話しかけられて顔を上げた時、涙目だったの気づかれたかな。
…思い詰めてる人と思われたかもしれない。

室内に戻ると、オーナーさんが、この後周辺をぐるっと回って野尻湖まで送ってくれるという。ナウマンゾウ博物館の無料招待券もいただいた。なんてありがたいんだろう。

部屋に入るなり、窓辺の青い紫陽花と青い花瓶に光があたって宝石のようにキラキラしているのが目に飛び込んできて、また涙がこぼれてしまった。
あまりにも美しかったから。


わけもわからず感傷的になっていたら、階下から人の話し声と笑い声が聞こえてきた。子どもの声も聞こえる気がする。お客さんかな?

辞めると言っても、これまで何十年も続けていて、たくさんのお客さんをもてなしてきての今だ。
終わりが近づいて初めて、偶然行き着いた私が感じるほど、寂しいことではないのかもしれない。
まあ、それはわからない。

9時近くなり、荷物をまとめて降りると、常連さんが出発するところだった。2人とも軽快なトレッキングスタイルみたいな服装で、オーナー夫妻と楽しく話していた。軽く挨拶をした。


…しまった。終点が羽田空港と勘違いして、これを書くのに集中してたら、終点、西馬込に到着した。
あれれ???慌ててGooglemapで検索したら、泉岳寺で乗り換えになってるーーorz

早めに動いてて良かった、、

そうだよなー、地下鉄で空港まで行けるんだ?!って意外だったけど、行けなかったんだ。

それにしても、あれです。
東京の電車の駅は、出口や改札まで、遠い。
10分以上あるからトイレ行ける、と思って矢印に沿って歩くけどなかなか着かず焦る。
また汗をかいた。
でも、走れば何とかなるってことかもしれない。


枠の外からはみ出さない生き方をしてきた気がしてる。たまに出てみては戻る、を繰り返してきたような。
それが良い悪いではなく、ただ私は、たまにはみ出てみただけで、けっこう何かを経験した気になっていたんだと思う。しかも、枠の中での経験も、大してない。

…枠って、何だろ。
「はみ出したら地獄だよ」って、映画『怪物』の冒頭シーンの台詞を思い出す。

今回も、出なくていい改札の出入りを繰り返した。
京急本線の改札ってどこ?
改札を出て前を向いても見当たらない。
振り返ったら、今出たばかりの改札の上の、「都営浅草線」の文字の隣に書いてある。


無事、空港に着いたけど…
搭乗口70番は、遠すぎる。遠すぎるよ。

旅の終わりが近づいています。
目的を果たしたのかな?と、自問自答。
もちろん。今年の現実予想図に記した、「長野のもろこし街道に行く」実現した。
これは、自分の好きなもののために動くことが目的。お宿のオーナーさんのおかげ。
本当に感謝している。

だけどまだ心の奥に、言葉になってないものがある。

1か月前、本当に長野行きを決めたあとに浮かんだテーマ、癒しと解放の旅。
これについては、どうかな。

癒すことはできた。雄大な自然に囲まれて、何者でもない、はるばるひとりでとうもろこしを食べに来た客でいられた。自分自身を厳しくみるのではなく、やさしく解すようにみることができた。

戻って、また厳しくみることまで戻ってしまうのが、こわいんだよね。


でも、ここまで来れば大丈夫だって、太陽の下を歩きながら思った。きっと身軽になれるって、信じられた。ひとりでも大丈夫になれば、自分をみる眼が変われば、こわくないって。
善光寺にお詣りして、私に不要なものはすべて捨てていきます、と伝えた。

どんなふうに環境を変えるか、どんな挑戦をするか、選んだり選ばなかったりしながら生きてきた。
バランスや中身は変わっても、そうやって生きていくのはこれからも変わらない。

本来、新しいことを知ること、挑戦することは喜びだと思う。ただ、それは楽しいばかりじゃなく、苦しい感情も伴うこと。

けれど、今までも、今も、これからも、後悔はしない人生を送れたら、何をしてもしなくても、別にいいと思うんだ。


お読みいただき、ありがとうございました。

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