Oh!マイダーリン 第1話(読了3分) 全2話
斎藤健太の頭の周りを蝶々が飛んでいる。蝶々は紺色の羽を光に反射させてヒラヒラ飛び回っている。きれいな蝶々だ。
ガラス越しだがよく見える。大きくきれいな蝶々が3匹、斎藤の後ろの窓の外を飛んでいて、斎藤の頭に寄ってきているように見える。
俺と斎藤は帝国ホテルの1階にあるラウンジバーにいた。一番安いメニューが1600円という高級感丸出しのラウンジバーだ。カチャカチャと食器にスプーンが当たる音以外はひそひそとした話声しか聞こえない。自然と俺たちもささやき声になる。声が小さい分ジェスチャーが大きくなる。
「なんだって?」
空気の流れに乗るように俺の耳に届いた斎藤の言葉に、俺の脳がついていかずにいた。俺は斎藤に呼び出されたラウンジバーでステーキサンドイッチを頬張りながら、頼みごとがあればできるだけ聞いてやろうと思っていた。高いサンドイッチだ、おごってもらっているだけでは悪い。
斎藤は高校の時からの友達で、たまたま大学もいっしょになった。彼はラグビーに専念し、俺は文学部で大学生活を謳歌した。大学の時もよく2人で食事に行っていた。
大学を卒業すると、斎藤は大手の電機メーカーに就職し、俺は数年出版会社に勤めた後、フリーのライターになった。お互い来年30歳になるが、今でも細く交友は続いている。
斎藤がいかにも内緒話をするようにしかめっ面をし、俺に顔を近づけてきた。それから俺の耳元を両手で囲うと、さらに小さな声でささやいた。
「人を殺すのにどういった方法がいいかなと思ってな、木崎はミステリー小説とか書いてるだろ、だから何かヒントをくれないかと思ってさ」
木崎とは俺のことだ。俺の名前は木崎雄太郎という。
いきなりの言葉に俺は心臓を撃ち抜かれた気がした。蝶々が飛んでいるのも、俺だけに見えているのか。
「人を殺す?冗談だろ」
「本気だ、だからお前だけにしか話せないんだ」
俺は小説を書いて生計を立てている。主にミステリーと成人向けの小説を書いているが、何か賞をとったわけではないし、自分名義で小説を出版しているわけでもない。ネット小説でなんとか生計を立てている、言ってみれば売れない小説家だ。
売れないわりには3年前に結婚した。子供は今のところ授かっていない。妻と2人暮らしだ。いわゆる共働きだが、子供がいない共働きは思った以上に経済的に余裕があることを結婚して知った。
ミステリーを書いている小説家だから俺に聞いたのだろうということは容易にわかる。人を殺す方法という言葉に驚いたが、俺が驚いたのにはもうひとつ理由がある。
実は俺も人を殺そうとずいぶん前から計画を練っていたからだ。相手は妻だ。俺たち夫婦は経済的に支えあっているが、俺は妻に殺意を持っている。
原因は妻の浮気だ。去年の夏、妻の浮気がばれた。ただ、妻に反省の気持ちはない。おそらく今でも何かあれば俺と別れようとしているのではないか、そんな疑念が俺の心を歪め、俺は殺意を持つまでになっていた。
こんな気持ちになるのならいっそのこと離婚をすればいい、普通はそう思うだろう。俺はそれさえもできずにいたのだ。妻を攻撃することも、離婚を切り出すこともできず、心だけがすさんでいた。
「いくらミステリーを書いているからって、完全犯罪の方法をわかってるわけではないよ。その証拠にすべての推理小説で犯人が捕まるだろ」
俺は自分の計画でも思い悩んでいるのに、人の殺人に関わるのはリスクが高いと思い、スルーしようかと思っていた。
「これどうかな、ベランダから突き落とす」
目と口を大きく開け、斎藤は右手を前に出した。
「どかーん、コロッだ。即死だよ」
斎藤が左手でグラスを持ち興奮気味にしゃべっている。斎藤は昼はとってきたからと食事をとらず、アイスコーヒーをオーダーしていた。
「だってさ鈍器で殴ったり、刃物で刺したりしたら殺人だってわかるだろ?そうしたら殺人事件として捜査が始まる。一緒にいた俺が犯人ではないか、とまず疑わない奴はいない。でも事故ならばれないかもしれないだろ。ベランダからの落下なら最後まで事故扱いの可能性が高いと思うんだ」
「それでも疑われるのは一緒にいるお前だろ、そのうち取り調べを受けて口を割るさ」
俺は殺人を企てているということを知られたくなくて、なるべく心の中を見透かされないように冷静をよそおって言葉を選んだ。
「いや、俺は絶対に口を割らない自信がある、それにさ、ベランダを選んだのには理由がある。たとえば駅で電車が入ってきた瞬間に突き飛ばして事故らしく見せたとしても、今はたいてい防犯カメラで犯人までいきつくからな、でも部屋のベランダは誰も見ていないし、カメラでベランダを撮るのは法的に無理だろ、つまり完全犯罪ってこと」
ということは誰かを家に招き入れるということなのか。
「斎藤お前、独身だよな、夫婦ならもともと一緒にいるからそこで事故が起きてもおかしくないけど、お前わざわざ部屋に呼んで殺すつもりか」
「そうなんだ、俺もそこが気になってる。やっぱりあやしいかな、我ながらいい方法だと思ったんだけどな」
なかなかうまくいかないな、と言いたげに斎藤が首をひねった。斎藤のアイスコーヒーはとっくになくなって、グラスの氷が窓からの光を飲み込んで透明な光を発していた。
ベランダからの落下死は、俺もずいぶん早くに思い付いていた。妻がベランダから落ちた時に夫の俺が部屋にいたとしても不自然ではない。
だが、そもそもベランダから落ちること自体が不自然なのだ。
3,4歳の子供がベランダから落下したニュースは聞くが、大人が落ちたなんていうニュースは一度も聞いたことがない。警察は必ずそこに疑問を抱くに違いない。俺は警察の尋問に耐えきる自信がない。
それに一瞬のことだから、犯行の途中に想定外のことが起きても時間稼ぎができない。近くの建物から人が見ていることに気が付いても、反射的に突き落とす手を止めるのは難しいだろう。
最も恐ろしいのは、妻が奇跡的に一命を取り留めた時だ。妻は必ず証言する「私は主人に突き落とされました」
そこで計画はおしまいだ。同時に俺の人生も終わる。妻は俺が拘束される姿をせせら笑いながら見ることだろう。
ベランダ突き落とし計画はそこでとん挫していた。
それから3週後、斎藤からまた話があるというので、計画の続きかと思い、帝国ホテルで落ち合った。
Oh!マイダーリン 第2話へつづく
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