日記 第6話 (読了3分)
前回までのあらすじ
妻の千沙から離婚届を叩きつけられた上に、会社ではパワハラ上司とケンカになり、長期休暇に入った祐樹。一人で耐え切れなくなった祐樹は結婚相談所に駆け込む。そこで与えられた課題は1週間日記をつけることだった。
日記 第6話
「その日記を私以外の人には見せないでください、できますか?」
それが一番できそうに思えた。三上さんが天使に見える。いや自分にとっては天使だ。
「もちろんできます」
祐樹は薄い日記帳を三上から受け取り、相談所を後にした。
久しぶりに心が弾んだ。仕事をしている間も、休暇に入ってからもこんな気持ちになることはなかった。もしかすると今の仕事を始めて以来5年間、こんなに希望に満ちた気持ちになったことはなかったかもしれない。
時計を見ると夕方4時を指していた。八重洲はまだ仕事をしている人ばかりだ。少し曇り気味の空の下で、人と時間が追いかけっこをしている。歩く人の顔は皆とてもつまらなさそうに見えた。
日記なんて簡単だろう、と思っていたのだが、いざ日記帳に向かってみると何を書いていいかわからなかった。
立ち上がってウォークインクロゼットを開けてみた。家の中を歩き回ればネタの一つくらい出てくるかもしれない。この前発見した千沙のスカートがそのままだった。どこに片づけていいかわからない。
寝室を覗いてみる。黒いスポーツバッグからパンフレットが飛び出している。
「ようこそ熟女パーティへ。熟女好きにはたまらない世界がここにある!あなたはここで汚染される。熟女ゾンビになってみないか」
パンフレットの表紙には訳の分からない文字が並んでいる。よくこんなコピーで人が集まるな、と思った。自分が熟女好きだとしても行かないかもな。
パンフレットはバッグを預かってくれたお礼だ、と木村が何冊かくれたものだった。このパンフレットこそが千沙が出て行った原因だ。破こうかと思い手にする。ふと千沙の顔が浮かぶ。かなり怒っていたな、その時の千沙の面影が襲ってくる。そろそろ誤解が解けてないか。だめもとで連絡してみようか、と思った。
リビングに戻りスマホを手にする。
「いやーむりか」
スマホの画面を眺める。どうしようかと思い顔を上げキッチンを見ると、冷蔵庫のドアに磁石で貼ったメモが目に入る。料理のレシピやちょっとしたメモだ。キッチンの奥の出窓に花が飾ってあるのが目に入る。千沙が存在していた証がそこら中にある。
もう一度スマホを見る。顔を上げると冷蔵庫が目に入る。
そんなことを何回か繰り返し、思い切って電話をかけてみた。何回か呼び出し音がなり、留守電になった。何も入れずに切る。
やっぱり出るはずないよな、そう口にしてスマホを机に置いた。ペンを持ち日記帳に向かう。
「空き部屋に置いてあったあのバッグの中に熟女パーティのパンフレットを発見、これが離婚の原因となった」
と書いたところで電話がなった。画面を確認すると千沙だった。あわててスマホを手に取ろうとしたら机の上から落ちてしまった。思った以上に激しい音がした。切れたか?そう思って話しかけた。
「もしもし、俺だ」
「…」
切れたのか。もう一度話しかけた。
「ああ俺だけど、あの…」
「分かってるわよ、折り返しかけたんだから。何よ用事は」
つながっていたのはうれしいが、用事がなければ電話をしたらいけないのか。
「やっぱり怒ってるよな」
「で?」
冷ややかな声が耳にささる。なんで電話なんかしたんだろうと思った。
「いや、誤解を解きたくて」
とりあえず思っていることを言った。
「変態野郎から誤解だと言われてもね。変態こそ何かを間違っているんだから」
確かにそうだと思うが、ここで肯定してもいいのだろうか。
変態野郎と言われて腹がたつが、反論できない。昔から千沙は口がたつ。千沙に口げんかで勝ったことは一度もない。まさしく主導権は千沙にある。戦績が物語っている。
「千沙も知ってるだろう、木村、昔からの友人の、木村に頼まれて預かったんだよ」
「あのね、誰から預かろうと、私には関係ないの。そういう趣味はないので、用がないなら切るわよ」
「ちょっと待てよ」
電話が切れた。どうやら修復不可能のようだ。なんだよ、思わず声が漏れる。スマホを机に置こうとしたところで振動した。手に取る。千沙からだ。言いたいことがすぐに出てこない。言い方を考えていると電話口から大きな声が響いた。
「明日、部屋の鍵郵送しとくから、それから、もうその部屋には帰らないから、残った荷物は処分しといて。洋服が何着かあるだけだから問題ないでしょ」
千沙は言いたいことだけ言うと電話を切った。こっちの言い分は何も聞いてもらえないようだ。静寂が部屋を包む。うるさいことを言われた跡だからか、いつにもまして孤独感が大きく感じた。祐樹はその後1時間くらいかけて日記を書いた。
東京駅は人が多すぎる。わざわざこんな場所に事務所を構えなくてもいいだろ。2週連続で東京駅に来たのは初めてだった。人の波に流されながら改札から駅の出口へ向う。
結婚相談所のエントランスにくる。相変わらず大きな花が並び、まき散らしている香りが心を癒してくれる。結婚相談所にくる人たちは自分みたいに傷ついている人が多いだろう。そういう人たちを癒すには花の香りが効果的なのだろう。
「いらっしゃいませ、ご予約のお客様でしょうか」
この会社に入社するにはルックスが必要なのだろうか。見かける女性社員のほぼ全員がきれいだ。
「はい西澤と申します」
「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」
通された部屋は広い個室だった。大きな花がデスクの上に飾ってあり、ソファも置いてある。あとで部屋を間違えましたなんてこないよな、などと考えながらソファに腰かけた。
部屋のドアがノックされる。
「はーい、こんにちは。日記書いてきましたか」
日記第7話につづく
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