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PS.ありがとう 第24話

“レイナちゃんママ、この前は協力ありがとう。しっかり証拠写真撮れたわ。これをネタに東京行きを迫るつもりよ。それとね、レイナちゃんママがいつも言うように、こんなことになっても離婚だけはせんから、安心して。東京行きが決まったら報告するから、その時はパーッと楽しもうね。PS.ありがとう”

手紙を書き終えてペンを置く。なかなかのできだ。こんなので思ったことが叶うなら安いもんだ。ペンを置くと同時にパソコンの画面が切り替わった。

“あなたの条件に合った男性候補をご紹介いたします”

条件に合った男性は3名しかいなかった。かなり横柄な条件を入れたからこんな感じだろうとは思った。1人目の紹介画像が突然現れた。紹介画像の中で、太めの男性が笑っていた。

太めだが二重の目がかわいいと思った。でもこの男性に私は抱かれるのか、一気に不安がよぎる。

玄関のチャイムが鳴ったので、瑤子は慌ててパソコンを閉じた。祐輔が帰ってきた。

「ただいまー」

「お帰り、今、晩御飯準備するね」

今日は食べて帰る連絡はなかった。

「ああ、疲れたー」

スーツの上着を脱ぎながら祐輔が大きく息をついた。東京行きの準備で忙しいのか、浮気で忙しいのか。スーツを鼻に当ててみたが、クリーニングから戻ってきたままの匂いのままで、怪しい香水の香りはしなかった。疑いすぎか?スーツの向こう側で祐輔が高笑いしている気がした。

鮭の塩焼きとご飯、みそ汁を温めなおしてテーブルに置く。冷蔵庫からタコと昆布の酢の物を取り出した。時間が遅いからこれくらいで満足だろう。

祐輔は出張以外は外泊をしない分、100パーセントではないが安心感がある。出張が隠れ蓑だとしても、それ以外の時間に家に帰ってきていると思うと自然に心は元気になる。

缶ビールの蓋をあけて祐輔のグラスに注ぐ。瑤子はついでに自分のグラスにも注いだ。

「来週の土曜日なんだけど」

祐輔が話しかけてきた。目を合わさないようにしているのがわかった。カレンダーを見る。その日は瑤子の誕生日だった。期待と不安が瑤子の心を渦巻く。よどんだ気持ちはここ最近晴れない。

「来週の土曜日って、7月1日よね」

「そうなんだ、30日から出張で、その日は東京で色々準備しなくちゃいけなくてさ」

「だって土曜日なのに、それに何の日かわかってる?」

「わかってる。瑤子さんの誕生日。ごめん。それは別の日にゴージャスになにかするからさ。今回だけだよ、こういうのは。もう異動まで日もないからさ、俺も仕方ないっていうか、そんな感じだよ」

口では謝っているが本心はどこにいるのか。いつもは呼び捨てのくせにこういうときだけ名前に”さん”付けして、しかもゴージャスじゃなくていいし。余計に腹が立った。だがここは怒ったら負けだ。

「そう、まあ仕方ないね。誕生日の分、お土産はずんでよ」

「仕事で行くからなあ、まあそういう時間があればね」

どこまで本当なのかわからない。

「祐輔、最初は単身赴任かもしれなけど、仕事頑張って私たちも東京に呼んでくれる?」

思い切っていってみた。これでいい返事がなければ現場を抑えた画像を見せようと思った。今日が勝負の日になってもいい。腹が決まった。

祐輔が黙ってご飯を口に運んでいる。果たしてこれが会話と言えるのだろうか。

「瑤子がその方が幸せって言うんなら、それも考えるさ」

祐輔がご飯を口に頬張りながら瑤子を眺めている。どことなく笑っているようだ。何を考えているのかこの男は。本気なのか?

「ほんとに?わーうれしいわ。お願いだからそうしてね」

自分が一番と思える甘い声を出してみた。とりあえず祐輔の話に合わせてみた。言質は押さえておこうと思ったからだ。

頑として否定されないから、こちらも踏ん切りがつかないじゃないか。こんな感じだとまだ証拠の映像は見せられない。果たして勝負はつくのだろうか。虚しさだけを引き連る毎日はそろそろ終わりにしたかった。

次の日は平日だったが、瑤子が勤めている会社の創立記念日で仕事がやすみだったため、レイナちゃんママと2人でランチを取ることにした。レイナちゃんママはシフト制で休みだったからちょうどよかった。会うとすぐに手紙を渡す。この手紙には、自分のおそらく最後になるであろう”男”との出会いがしたためられている。絶対に外せない。

「ママこれちゃんと読んでな。あとさ、色々情報をくれてありがとう。事実を知ってるのと知らないのとじゃ全然違うから、ありがたいよ」

さりげなく手紙のことも伝えた。

「そう言ってくれてよかったわ。最初は旦那さんがうちの店に来ていること言おうかどうか迷ったんやけど、私も離婚を経験してるからね、絶対に伝えないとッて思って、言ってだめならそれでもいいかと思ってな」

レイナちゃんママは感謝されたことに嬉しそうだ。

「勇気を出して言ってくれてよかったよ。感謝しとるよ」

レイナちゃんママはボンゴレを、瑤子はグラタンをオーダーした。

「これ食べへん?ここのおすすめシラスピザ。大きいの頼んでいっしょに食べへん?」

メニューの写真を見るだけで美味しそうだ。

「わあ、おいしそう。たべよたべよ」

心が弾む。

「あとな、ここのシャンパン美味しいんやけど、飲んでみらん?」

レイナちゃんママの目が輝いている。

「ええよ、美羽のお迎えまで何もないから、一杯くらいなら」

お互いに顔を見合わせて笑った。レイナちゃんママと会話をして久しぶりに笑った気がした。レイナちゃんママといっしょにいるとなんだか何かの共同体の同志になったような気がする。まだ何も変わっていないというのに。

シャンパンが運ばれてきた。シャンパンの中を細かい泡が、まるで何かを主張するように黄金色の液体の中を上昇している。そんなきらめく光に瑤子は希望を感じた。

「何に乾杯しようか」

瑤子の気持ちを悟ったのか、レイナちゃんママがグラスを片手に笑った。

「何がいいかな」と瑤子。

「じゃあ私たちの未来に」とレイナちゃんママがすかさず答えた。

「わあ、うれしい。私たちの未来に」

明るい未来がくるといいなあ。レイナちゃんママの優しさが身に染みる。カチンというグラスが合わさる音と、グラスの向こうのレイナちゃんママの笑顔は一生忘れないだろうと思った。

窓の外の太陽の光とシャンパンの中で輝く泡に、すべてをゆだねたい気分だ。レイナちゃんママと知り合えてよかった。ほんの少しの時間だけど、一緒にいるだけで幸せな気分を味わえる。

「東京に行って何がしたいん」

シャンパングラスを置きながらレイナちゃんママが聞いてきた。ここまで東京にこだわる理由が知りたいのだろう。もし自分がレイナちゃんママの立場だったとしても同じ疑問を持つだろう。東京にこだわるのは東京に行ったことがない若者か、よほど東京という街に縁がある人に決まっている。

幼い頃は都会に住みたいと思ったことがない。コンクリートの壁に囲まれた都会の無機質感と、冷たい人がたくさんいそうで嫌だった。

ちょっと歩けば小川のせせらぎが聞こえてくるような田舎の町で育った瑤子は、季節の匂いと太陽の光の優しさを知っている。川を覗くと驚いて散っていく魚を見るのも楽しかった。自宅の裏でキツネが走り回っているのを見たこともある。だから、大人になってもずっと植物の緑や山の傾斜、鳥の鳴き声の中で生きていくのだろう、迷わずにそう思っていた。

小学6年生くらいだっただろうか、その気持ちが少し変化したのは。同じクラスの友人が夏休みに東京に旅行で行ってきたと聞いて、なぜかうらやましかった。東京と言えば東京タワーしか思い浮かばなかったが、あのオレンジ色の日本の象徴のような建造物に上ったと聞いて少しショックだったことを覚えている。その話を聞いて、行ってみたい場所が東京になった。

大人になるにつれて、田舎の人付き合いの喧騒が嫌になって、人とはあまりかかわりのない世界に飛び込んでいきたいという気持ちが強くなった。自分のことを誰もが知らない世界イコール東京だった。

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