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そこんとこヨロシク! 前編 (読了4分)

あらすじ
俺は目を覚ますと病院のベッドにいた。すぐに退院したが帰り道に不思議な力が宿ったことに気が付いた。それは……。

 目を明けると、白い壁が目の前に広がった。ん?壁?うすく黒ずんだ白い壁が俺を囲んでいるように見えた、なんだ歓声じゃないのか、少し残念だったが、不自然な光景を確認したくて、もう一度目を大きく開けて壁を見た。壁の黒い部分がカラスの形に見えて、カラスは俺を見て笑っているようだ。体中が締め付けられている感じがして手足が自由に動かない、あの黒い部分にいるあいつらのせいなのか、などと多分あり得ないだろうことを想像しながら、わずかながら動く首をひねると、隣りに誰もいないベッドが冷たく横たわっていた。

 周りを見渡すと、そこは病室で俺はベッドの上にあおむけになっていた。黒ずんだ白い壁だと思っていたのは薄汚れた天井だった。

 俺は自称ミュージシャン、たぶん、自称だ。名前は矢沢栄一という。毎週ライブハウスで仲間たちと歌って踊るロックンローラーだと自分では思っていた。レパートリーはもちろん矢沢永吉だ。俺の親父は俺に栄一と名付けた。親父は栄一と付けたのはたまたまだ、と言っていたが、矢沢永吉を聞いていた親父がたまたま付けた名前であるはずがないということに、俺は小学生の時に気付いた。

 親父は矢沢永吉の大ファンで、俺は小さいころから家で矢沢永吉を聞いて育ち、中学の時には一通り悪いことはして、知り合いからは永ちゃんと呼ばれるのが俺の誇りになった。

 かろうじて偏差値の低い大学に滑り込むことができて、学生生活を謳歌して、卒業し就職して最初にもらった給料で買ったのは白いスーツだった。三十二歳になった今でも俺はそのスーツを着てステージに立つ。

 最初に就職したのは大手の不動産会社だった。なんでそんな会社に就職できたのかはいまだにわからないが、ガッツが買われたのだと思う。その会社は一年で辞めた。辞めたあとから今みたいな生活をしているから、ミュージシャンみたいな生活も、もう十年目を迎えようとしていた。

 なんで俺が自称ミュージシャンだとわかっているかというと、音楽では食えないからだ、最近だいぶ自分の実力がわかってきた。気付くのが遅いのか早いのかわからないが、たぶん遅いのだろう、三十二歳は。だから食うために俺はコンビニでバイトをして、夕方からサッカーのクラブチームの練習に行っている。練習をしているのは俺ではなく子供たちだ。俺は東京都江東区の豊洲というところにあるジュニアサッカーチームのコーチをしてバイト代を稼いでいる。あれ?今日は練習日だったかな、そんなことを考えながら、立ち上がろうとしていると

「あら、大丈夫ですか?動いても」

 と白いナース服を着たナースらしい女性が話しかけてきた。

「大丈夫ですけど、何か」

 俺が平然と答えると

「三日も目を覚まされなかったので、ご家族もご心配されていましたよ」

 俺は三日間も目を覚ましていなかったのか、そう言われて初めて現実に戻った。白いナース服を着たナースらしい女性はナースだった。

 ナースの話を聞くうちに俺は思い出していた。俺は先週の土曜日のライブでアンコールを歌い終わった瞬間に勢いづいてジャンプしてステージから落ちたのだった。そこからの記憶がないから、落ちたショックで気を失って病院に運ばれたに違いない。

「あのー、することあるんで退院しても良いでしょうか」

「え?」

 ナースが不思議そうな顔をして俺を見たので

「病院を出たいってことです、退院ね退院、とりあえずそこんとこヨロシク!」

 俺は眉間にしわを寄せ、口をとがらせて矢沢調で言った。

「あ、は、はい、わかりました」

 と言うとナースは慌てて部屋を出て行った。

 しばらくすると偉そうな感じのドクターが部屋に入ってきた、さっきのナースもいっしょだ。俺はそこから二時間くらい色々な検査を受けたが全く問題ない、異常な回復力だと医者が驚き、それから色々な書類を書いたりして、絶対に自宅で安静にしておくという約束で、なんとか退院したのだった。

 その異変は病院からの帰り道で起きた。歩道橋を歩いていると、歩道橋の下を歩いている白い服を着た少女が道路に飛び出すのが目に入った。道路の向こう側にいる母親を追っているようだった、その時だった、接近してきた大型トラックが女の子をはねそうになったが、俺が「引き返せ」と心の中で叫ぶと、少女は奇跡的に引き返し惨事には至らなかった。何が起こったのかわからなかったが、俺の声が聞こえたのだろう、としか思わなかった。

 歩道橋から降りたところで俺は自転車の男と接触した。自転車の荷台には何段かに積まれた箱の荷物がふらふらして乗っかっていたが、乗っている男が「あぶないだろ!」と叫んだので、いやいやここは歩道だろう、危ないのはそっちじゃないか、と言いそうになってやめた。こんなことでエネルギーを消費するのはもったいないからだ、できればサッカーの指導やステージで燃え尽きたい、というのが俺の信条だった。あんな荷物積んでるからだよ、落ちりゃいいんだ荷物、と心の中で叫んでいた。少し歩いたところで、ふと振り返ると、ガラガラガラと大きな音を立てて、荷台の荷物が転げ落ちたのだった。

 何となく手ごたえを感じた俺は、車を右折させたり、鳥を電線から別の電線に移したり、道路に転がってきたボールを静止させたりして家路についた。

 自宅前の木の枝にカラスが止まっていたのでカラスに向かって

「そこんとこヨロシク!」

 と言うとカラスはそれに答えるようにカーッ、と鳴いた。俺は心の中で「こっちに降りて来いよカラス」というと、カラスは大きく羽を広げ羽ばたかせ、本当に俺の前に降りてきて黒い目で俺を見つめた。俺が近づくとカラスはすぐに飛び立ちどこかへ帰っていった。俺も帰るとするか、家に到着するころには俺は不思議な力を実感していた。

 心で叫んだことが目の前で実現するのだ、ステージから落ちた拍子に特殊な能力が付いたに違いない、と俺は確信していた。

 俺は家に着くなり、バイトやライブやサッカーの練習のスケジュールをチェックした。運よくこの三日間はサッカーの練習も試合もなかった。だがバイトを無断欠勤しているはずだ。そう思いバイト先に連絡をすると、逆に「大丈夫でしたか?」と心配された。ライブに出ていることを知っているバイト先の友人が、心配してライブハウスに問合せをして、入院していることが判明したので問題にはなっていない、ということだった。

 ところで、今日はサッカーの練習日ではないか?スマホでスケジュールを見ると、思った通りサッカーの練習日になっていた。

 俺はこう見えても、高校生まではプロのサッカー選手を目指していた。十八歳の時にけがをして使い物にならなくなってプロへの道を断念したが、サッカーは好きだったので、二十五歳の時からコーチとして子供たちを指導していた。しかもライブをしながらだ。

 今週末は招待試合がある、チームが調子づいてきているだけに、ここは何とかして優勝したいと思っていた。もちろんライブの予定は入れていない。
 俺が指導しているのは豊洲で活動しているFCトヨースキッカーズU12だ。地域では強豪チームの部類だが二年前に大会で優勝して以来、公式試合での入賞がない。だが、今回は流れが違った。前回行われた予選リーグでは格上の相手もいたが、引き分けて、別の試合での得失点差でうちがグループ首位で抜け出たため、今週末のトーナメント戦に出場できる。しかも、いつも優勝決定戦に絡んでくる他の上位チームがまさかの予選リーグ敗退をしているため、うまくいけば優勝が狙える大会だ。そう思うとあの手を使わざるを得ない。「絶対に優勝する」俺はそう誓った。

そこんとこヨロシク! 後編へつづく

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