読書と性生活 (読了3分)
光夏のエッセイ「読書と性生活」
映画って面白い。
昔、淀川長治という人が毎週テレビでやってる映画番組(そのころは毎週洋画ロードショーといってました)のアテンドをしていたのですが、その人の毎週言うセリフが「ハイ皆さん、こんばんは、怖いですねえ、恐ろしいですねえ」」でした。映画を放映する前と終わった後に出てくるんです。そして最後は「さよなら、さよなら、さよなら」て言って番組を締めます。
映画の感想を言うんですが、それも、もちろん素晴らしかったです。映画というと思い出すシーンの一つでもあります。
映画は小説一冊分の長さとちょうど合う。だからいい小説は映画になりやすい。
映画で影響を受けるということは、読書で涙を流すことと同じだと思います。だから映画と読書はかなり近い存在だと。
読書と性生活というテーマですすめてきましたが、今回が最も近いかもしれません。読書と性生活は映画と性生活でもあるわけです。
なんだろう、そんなにないけど、そういえばヌードになる場面ならあるかもしれないな、と思うかもしれませんね。
例えば、「極道の妻たち」のかたせ梨乃のヌードシーンとか。世良公則が最後に死ぬシーンなどは素晴らしい裸体を披露しています。なかなかですね。
吉原炎上では名取裕子がドキドキするような自慰シーンを見せてくれます。
まあそんなところでしょう。
ただ私が言いたいのはそんな低レベルのセクシーシーンのことではないのです。
本当の小説と性生活の結びつき。映画を接点とするなら「ゴッドファーザー」を一つの例として考えてみましょう。
あの始まりのシーンゴッドファーザーが自分の娘の結婚披露パーティの最中に、他のマフィアの相談事にのっているのです。二度と出会えないシーンでしょう?だってマフィアの世界なんか昔も今も、たぶん未来も知らないんですから。
あのシーンにはしびれます。
あ、話が脱線しましたけど。
映画と性生活ね、あ、違う、読書と性生活ですね。
先ほどのゴッドファーザーですでにあなたは性生活と同じ効果を得ているのです。
例えばゴッドファーザーはあるマフィアのボスに言います。
「ゴッドファーザーと呼んだこともない」
いいですねー、想像力を掻き立てられますね。
ゴッドファーザーがここで言いたいのは、自分は友人として接しかったのに、お前はそういう考えもなかっただろ?その証拠に他の人たちが使っている“ゴッドファーザー”という名前で呼んだことがないだろ、ということです。
素晴らしいですね。
その場面での裏側を想像すると、ゴッドファーザーがマフィアのお尻の穴におち●ちんを入れながら、ゴッドファーザーと言え、と言ってるようなもんなんですねー。
だから面白い。
映画の中にはちょっとエロいシーンも出てきます。
長男のエースが最初の場面で、自分の部屋でパーティ中だというのに、奥さんとバックでやるシーンがあるんです。
ただ、そこは想像力がなくても股間に手が行くシーン?の人もいるでしょうから、読書とはちょっと違います。
あとは、ゴッドファーザーが病院のベッドで、マイケルが助けてくれたことに喜んで涙するシーンがあるんですが、そこで自慰をできる人は素晴らしいですね。
これくらいにしておきます。
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