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記憶が薄れてしまう前に 2

*前の話しを読んでない方でしたら是非前の話しから読んで下さい。何の話しをしているか分からないと思うので。お手数お掛けします。


段々と両腕が重くなってタバコを口に持っていくことが難しくなり、ついにその手が口元に届かなくなりました。とりあえず実家に帰ってシャワーを浴びてどうするか考えようと思い、父親が荷物を持ってくれたので手ぶらで歩き始めたのです。帰り道父親に「いい歳して迷惑と心配かけてごめん。」と言いました。父はただ「ああ。」と言いました。

話しが脱線しますが、自分の父親はいつも冷静で言葉数の少ない人です。子供のころ父親が笑っている記憶はありません。少し冷たい印象もありましたが、いつも自分のやりたい事を否定せずに好きにやらせてくれて見守ってくれ、ダメなものはしっかり叱ってくれる父でした。痛い辛い苦しい疲れたとか一切の弱音を吐かない人で自分はそんな父親を子供のころはヒーローとして見て、大人になってからは同じ男として目標にしてきました。後から母親から聞いた話しで父は、海に浮かぶ自分を見たとき死んでいると思い怖かったそうです。その話しを聞いたときあの父親に怖いと言わせてしまったという申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

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家に着くとそのまま風呂場に直行しました。この時既に指は動くものの肩から手首にかけてはほぼ動かなくなっていて、シャワーを掴みたい時やシャンプーなどは状況が分かりにくいかもしれませんが膝で肘を持ち上げるような方法で手を使って済ませました。しかしながらその方法では全く洗いきれていません。それどころか両腕全体が水なども含め何かが触れると火傷をしているところを引っ掻くようなうずくまる程の激痛が走るようになっていました。

なんとか風呂場を出ると父親が母親に話しをしたらしく既に救急車を呼んでいました。この時自分はまだ悠長に構えていて「寝て明日の朝になれば治ってるのに大袈裟だよ」と母に言いました。

とりあえず出る支度をしようと思ったものの下着を履いてハーフパンツまでは履けましたが、腕が上がらないことと激痛で上半身に服を着ることが出来ません。そのまま玄関近くに座り込んでいると間もなく救急隊の方々が来ました。事故の状況と症状を話したところ救急隊の方の顔色が変わり「ストレッチャーを持ってきて!」ともう一人の隊員の方にまあまあな剣幕で言ったのです。自分は救急隊の方に「救急車まで歩いて行くので大丈夫ですよ」と言いました。ですが救急隊の方はさっきまで敬語で話しをしていたはずなのに「いいから絶対に動かないで!」と言われ、その剣幕に押され大人しく言われた通りにしていました。ストレッチャーが届くと首にコルセットを巻かれ仰向きに寝かされると、「首を絶対に動かさないで下さい」と念を押されて救急車に乗り込んだのです。

しかし救急車は一向に動きません。割と近くの病院が一杯で受け入れできないらしいのです。結果隣の県の病院に向かうことになりました。

ところが時期は夏で海岸線の道は渋滞しています。なかなか進まないうえに、ちょっとした段差などの振動がある度激しい痛みが両腕を襲います。この時腕の痛みはMAXになっていて皮膚のほうは変わらず火傷のような痛み、手首、肘、肩などの関節は捻挫のように、骨はねじ曲げられているような痛みが常にある状態でした。

そして渋滞の結果普段なら1時間ほどで行ける所に2時間かかっての到着です。ですが到着して5分もしないうちに家族が来てくれました。「早くない?」と言ったところ「家の片付けと犬の世話してたら1時間経ったしまったから有料道路使って来た。検査終わった?」と「...いや、渋滞してて今着いたばっかだよ」と一言二言話しているうちにストレッチャーで別の場所に運ばれました。

自分はずっと天井しか見れずMRIとレントゲンの部屋は分かりましたが、エレベーターに何度か乗せられたりでそれ以外は何階かすら全く分かりませんでした。「検査結果は明日出ます」と言われ「えっ?!泊まりですか?」と言いました。自分はまだ明日の朝から会社に行くつもりでいたので驚いたのです。天井しか見ていないので時間の感覚も分かっていませんでしたがこの時点で21時を過ぎていました。

その日自分が寝ることになった部屋は、まあまあな広さがある気がしました。ただやたら至る所から機械音とシューシューという音が聞こえ、話しをする人の声はするのですが、それは自分を看てくれている看護師さんの声だけで(皆さんもう寝てらっしゃるのかな?)と思っていましたが、それは違っていました。実はその部屋はICUで意識がある患者は自分だけだったのです。

                  続く

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