福知山のフリースクール「けやき広場」

こんにちは!
光秀マインド足立聖忠です!

さて、今日は昨日に引き続いて私が小学校に行かなくなった時に行くことになった「けやき広場」のことを書いてみようと思います。

不登校になって少しすると母親と市役所に行くことになりました。ある一室に行くと職員さんと母親は何かを話し始めます。その間に私は箱庭を作るように言われます。当時は何も考えずに作り始めました。もともと絵を描く事や工作、プラモデル等が好きだったので抵抗もなくやっていました。何度か市役所に通ううちにある日「けやき広場」に行くことを勧められます。

家から外に出ることがそもそも嫌になっていたのにフリースクールに行くという事にはすごく抵抗した記憶があります。それでも家にいても沢山言われるし、少しは言われなくなるかと行くことを決めました。

このけやき広場は当時福知山城の前にあり、今のゆらのガーデンの駐車場の位置に2階建てでありました。始まりの時間と終わりの時間が決まっており、勉強する時間も決まっていますが、何を勉強するかは基本自由で、個別で先生が教えてくれていました。最初は抵抗があるものの、同じく学校に行かないという共通の悩みがあることで比較的早く友達関係ができました。慣れてくるとお互いの家に遊びに行くような関係になったり、休みの日に釣りに行くようになったりしました。

そんな世間の学生という青春の時間とは違う時間軸でそれなりに楽しくなっていました。
当時は学年関係なく同じ部屋で勉強もお昼も休憩時間も一緒だったので年上年下とかがあまり関係ありませんでした。
ただ年上の人は高校生から通常の学校に通うことにチャレンジする場面がありました。その為に中間テストや、期末テストだけ中学校に行きテストを受けたりをして場に慣れさせようとする場面がありました。その時は学校に行けなくなっている人からすると英雄のような扱いです。
何名かは高校から行く道を選んでいきました。そんな中一人のクラスメイトが命を絶ちました。昨日まで同じ部屋で勉強をし、一緒にご飯を食べていた友人が次の日に来ず、先生から亡くなったことだけを聞きました。後日に違う人から自ら命を絶ったことを聞きました。
私にとっては初めての「死」というものを感じる場面でした。

同じ学校に行けない(行かない)という選択をしていても、その人によっての負荷や負担は全然違います。行くか行かないかの選択の中に大きな違いや差があります。

それでも多くの先輩を見て私もチャレンジしようという気持ちになっていました。また高校生になった時の話は次回書きたいと思います。

そんなけやき広場が福知山城の前から無くなって、どこに移動したかもまったく知りませんでしたが、2021年に福知山イル未来とで伯耆丸公園を使用するために市役所の後ろに初めて入ると懐かしい「けやき広場」の木の看板がかかっている場所がありました。思わず中に入って昔お世話になったことを話に行きました。(その後知ってる先生に出会ったとかは無いんですが)

昔と学校に行くか行かないかの選択も理由は変わっていると思いますが、私は胸を張って今の自分が当時の出会いによってあることを話せます。今でも続く友人がいます。学校に行かない選択は決して負の時間ではないことを知っています。
学校に行かない選択によって悩み辛い思いをしている人がいたらそんなことは無いと言いたいですし、そのために私自身もまだまだ頑張っていきたいと思います。

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