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本能寺の変 1582 上総介信長 9 227~228 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

上総介信長 9 斯波義銀の裏切り 

*227~228は、バックナンバーです。

227 信長は、今川との和睦を模索した。

   武衛様と吉良殿と御参会の事。          『信長公記』
   信長は、大義名分を重んじた。          『信長公記』
   やがて、これが裏目に出る。

228 吉良・石橋・武衛三人、御国追出しの事。 『信長公記』

   今川義元は、尾張の西海岸を狙った。
   信長は、これに気づかなかった。
   密事が露見した。                『信長公記』
   信長は、斯波氏を追放した。           『信長公記』
   信長の下剋上である。 

          ⇒ 次回へつづく


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