本能寺の変 1582 光秀の苦悩 6 90~91 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
光秀の苦悩 6 守るべき者
*90~91は、バックナンバーです。
90 光秀は、明智の将来に不安を抱いていた。
光秀は、志向の違いに悩んでいた。 「続群書類従」
光秀は、信長との意思の疎通に問題が生じていた。
光秀は、信長の猜疑心を怖れていた。
信長は、光秀を警戒していた。
光秀には、粛清の怖れがあった。
光秀には、守らねばならぬ者たちがいた。
91 光秀の悩みは、尽きず。
光秀は、多くの悩みを抱えていた。
光秀の心は、重く沈んでいた。
⇒ 次回へつづく
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本文90~91について、加筆・修正あり。
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