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制度や仕組みは会社の哲学

福利厚生って

 福利厚生は社員にとっても会社にとっても大切な要素だと思う。でも、そこで選ぼうという価値観は”権利の主張”に聞こえる部分もあるから違和感を感じる時がある。

 福利厚生に限らず会社で作られる制度の作り方は会社それぞれだが、会社ごとに大切にしたい『価値観』や社員への『感謝』や『想い』が表現されているモノだと思う。
 それを、さも与えられて当然のものの様に主張し、利用してやろう思っている時点で「なんだかな~」って思ってしまう自分がいる。

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会社もいろいろな経験をしている

 完璧な組織はない。どんなに完璧に見える組織でも必ず課題はある。それを制度や仕組みを使って解消しているし、会社も紆余曲折な歴史があるから今がある。
 例えばGCストーリーでは新卒採用中心に人数が増えていくのですが、年次が上がるにつれてライフステージが変わり、結婚出産する社員が増え、今のままの制度だと、社員が働き続ける事ができないという事で産休育休制度の見直しをしました。現在では、育休はMAX6年!!(再雇用保証期間含む)、時短勤務は小学校卒業まで!!、看護休暇は子が4歳まで毎年12日付与!!となっています。(わかる人にはわかるやつ)
 今ある制度や仕組みが有るのは、必ず理由があり哲学があり会社側からの愛の形だと僕は捉えています。

一方で会社との関わり方も変化している

 インターネットやクラウドサービスの登場で個人での発信や複業もしやすくなり、昔とは会社とのかかわり方が変わってきています。会社が個人を大切にしてくれるか、守ってくれるかで言うと、それも中々難しい。だからこそ目の前の損得や利害で見てしまいがちですが、自分が大切にしたいモノは本当に損得や利害で判断できるものなのでしょうか?
 短期的には権利や条件で満足できるかもしれませんが、長期的にみると自分を制約しかねないモノだと僕は感じています。

呪縛

自分を縛る制約とは

 例えば、土日休みで、福利厚生がこれだけ整ってて、残業もなく、休日出勤もないという条件で働くとします。これはすでに自分が手に入れているものだし、そこで働く以上「権利」として持っているものです。
 これが、他の会社や別のやりたい仕事を考えた時に、この「権利」として持っていたものが「制約」に変わってしまうのです。土日休みっていいなとか休日出勤はない方がいいなと考えてしまうと、自分の可能性を自分自身が制約してしまいかねないのです。これは生活水準をなかなか落とせないのと一緒で、自身が働く上で、生きていく上で自由に選択ができなくなる可能性がある。

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話逸れましたが

 福利厚生と一概に捉えることなく、その会社でなぜその制度や仕組みができたのかストーリーを知ると共感できるし、それは制度としてではなく、会社からもらっている愛(そこまでじゃなくていいけど)と思えることがあると思います。

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