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推しは毎日推すから推しなんだ

推しと一緒にのんびりと見る「世界はほしいものに溢れている」というNHKの番組が好きだった。
JUJUさんと、神尾さん、そして三浦春馬さん。
3人の空気感がとても好きで、キャスティングした人本当にお手柄だと思うほどに好きだった。
だから、今後彼のいないあの番組を見れるのか、果たして受け入れられるのかとても不安で、打ち切りになっても寂しいし、続いたとしても穴を感じざるを得ないと思う今。
きっと彼は、この世での悩みから解放されて、どこかで幸せであることを願うばかりです。


そして、三浦春馬さんのニュースからこっち、私は「好き」という気持ちを伝えることの重要性をひしひしと感じている。
彼を苦しめていた原因が何であったかは分からないけれど、失ってから届かない「好き」を伝えることよりも、今そこにあって届く「好き」を伝えることが、自分の精神衛生上良いから。

「好き」を伝える行為はエゴでしかない。
「私はあなたが好きです。」と、もらって嬉しくない好きをもらうことは、迷惑でしかないから。
ただ一方的な「好き」は迷惑のなにものでもない。
あなたが私を好きだから、私があなたを好きになる必要はないし、断ったら断ったで傷つかれるし、言われた側は言われ損になる。
たとて一方的な「好き」が一方的でなくなった時でもエゴはエゴだ。
それは肝に銘じておくべきだと思う。
ストーカー気質な時は特に。

幸い(?)私の推しは彼と愛犬なので、相手は三次元。二次元だから届かない、と悲しむ必要もなければ、迷惑だと断られることもない。
伝えたら伝えただけ受け止めてくれる。
受け止めてくれるのがどれだけ幸せか。
エゴの「好き」を昇華してくれる存在は本当に尊い。

「推し」は良く出来た言葉だと思う。「推す」という動詞なのに名詞として使って、しかも、「好きな人、物、事」と範囲も広い。
「推しが尊い」というだけで、好きが溢れることが伝えられる。
同じ二文字の「好き」に込められない、溢れて言葉にならない「好き」を込めることができる。

だから、私は毎日彼に「好き」と言って、夜には「今日も推しが尊い」という。(ネットスラング?)
彼も私を「推し」と言ってくれて、お互いに「好き」を送り合っている。
ありがとう、という感謝の気持ちとともに。

私と出会ったころ、彼はとても自己肯定感の低い人だった。
でも人並みのプライドの高さと負けず嫌いの性格もあり、そのちぐはぐな感じが幼さを醸し出していた。

そんな彼は今、私に毎日好きと言われ、溶けるほどの愛に囲まれて、貢がれて、自己肯定感が高まっているらしい。
圧倒的な味方は1人いるだけで自分が強くなれる。
彼にとっての圧倒的な味方は私になったようだ。
毎日推しに好きと伝えることが、彼を強くしている。
そのことがとても嬉しい。
推し事が進んで仕方がないほどに。

私がいそいそと推しに課金しだしたのは今に始まったことではない。
けれど昔はもう少し節度のある課金だった。
まずは自分、そのあと残った分から気が向いたら、という感じだった。
今は一緒に住んでいることもあってか、まず彼、そのあと私、というようになった。
彼もそれを満更でもない様子ではあるが、搾取することもなく貰いすぎることもなく、程よく受け取ってくれる。
私の加減が上手くなったのかもしれないけれど。

そして父のガン、生きたくても生きれない人が身近にいる最中に入ってきたニュース。
否が応でも生について考えざるを得ない。
失ってからでは遅い。
いつ失うか分からない、もしかしたら明日大地震がきて死ぬかもしれない、もしかしたら帰りに事故で命を落とすかもしれない。
だから、今、推せるのなら精一杯の好きを伝えて推したい。
それが例えエゴだとしても。

推しは毎日推しに好きと伝えて貢献するから推しなんだ。
それが手の届かない存在だとしても、推しに気持ちを伝えることが、推しを強くすると信じて。


私も毎日彼に好きと伝えている。
行動で表すようにしている。
明日世界が滅んでも後悔しないように。


今日も推しが尊い。



Love mitsuha__

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