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父ががんの疑いがあると診断された日

父が、がんかもしれないと診断された。

父は、ほとんど家にいない人だった。
小さいころは私が起きる前に家を出て、寝た後に帰ってくる。
もの後ごろついてからは海外への単身赴任で会うのは数か月に何日か。
定年後も海外で仕事をして、帰ってくるころには私は家を出ていた。
だから思い出といえば、海外赴任について行った3年間と、小さいころの日曜日のお散歩だけだ。
自転車に乗る父の後ろをついていく小さい兄と私。
森の中、畑の中。
思い出が蘇る。

父は、穏やかな人だ。
父に怒られたのはこの30年で2回だけ。
どちらも母を傷つけたときだった。(反抗期だったので)
でも、後を引くような怒り方ではない。
怒鳴ることもなく、穏やかに、静かに、言い聞かせるように。
その後は母にもフォローの言葉をかけていた。

父は、私の憧れだ。
たしかに世渡りが下手で、不器用なタイプではあるけれど、道をj踏み外すことなく堅実に家族を育て、犬も3匹も飼った。家も買った。
たまに家にいるときに仕事の電話がかかってくる。
海外で仕事をしている父は、ほとんど英語でその電話を受けている。
その姿に憧れた。
威張ることもなく「海外で仕事をしているからね」と言って、当たり前のように笑う。
その父の背中に憧れた。


「お父さん嫌い」
「話したくもない」
そんな言葉をかけたことは一度もない。
父はいつだって私の憧れだ。
大きな手、優しい雰囲気。

その父が、がんかもしれない。
しかも余命いくばくかも分からない。
ようやっと海外赴任から帰ってきて日本で母と犬と3人で幸せな生活ができるはずだったというのに。
神様はどうしてこんなに辛い現実を見せるのだろう。

兄は医者になった。
小さいころから夢だった、小児科になる夢をかなえた。
すてきな奥さんと、かわいい子どもも2人いて、親孝行だ。

一方私は。
心配ばかりかけて、なにもできていない。
結婚も、親孝行もできていない。

父方も母方も祖父母が癌で亡くなっている。
父もがんだ。
では、私も、もしかしたら、そうなる可能性が高いかもしれない。
家系が嫌だというわけではない。
彼を、巻き込んでしまうかもしれない。
果たしてがん家系の私は結婚して良いのだろうか。
母を支えないといけないかもしれないのに。
彼との将来を望んで良いのだろうか。

付き合ってもうすぐ1年半、同棲をして1年。
父も心配だけれど、自分の将来を怖がっている部分もある。
そんな自分が嫌だ。
自分の心配をしている自分が嫌だ。


検査結果はまだ分からない。
まだ60代前半の父のがんが1年でどこまで進行するかも分からない。
もしかしたら転移していないかもしれない。
それであれば体力もあるし、まだ未来は明るい。
でも、転移をしていたら。

こんなに早く、父親を失うかもしれないなんて思ってもみなかった。
あと10年は少なくとも元気だろうと思っていた。

末っ子で妹の私が涙を流してはいけない。
母を支えなければ。
父を元気付けなければ。
彼に心配をかけるわけにはいかない。
でも、一人のときはいいよね。
泣きながら、今の思いを書いても許されるよね。
このnoteが、笑いごとで済みますように。

このnoteが絶望の始まりではありませんように。


Love mitsuha__

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