これをきっかけに結婚するのは違うと言われて何も答えられなかった

検査の結果、父はステージ4の胃癌、複数のリンパに転移あり。
これからの投薬は治療というよりも緩和ケアに近く、この1年くらいが勝負。
抑えられるか、抑えられないか。
幸いまだ他臓器への転移はリンパ以外見られないとはいえ、いつ発症するかも分からない。

だから私は気が急いた。
父が元気なうちに式だけでも、と考えたけれど、「それをきっかけに結婚を決めるのは違う気がする」と、彼にストップをかけられてしまった。
私もそう思う。
でも、孫の姿を見せられないまでも、花嫁姿くらいは見せてあげたいと思うのは、娘として間違っているのだろうか。
プロポーズしてすぐに入籍じゃないよ、そう伝えたのだけれど果たして伝わったのだろうか。
男性側は気にならないのだろうか。
将来、自分に娘ができたときに後悔したりしないのだろうか。
私はきっと、子どものその姿を見たときに後悔すると思う。
あぁ、最後に父に花嫁姿を見せてあげたかった、と。
それとも私は感情的になりすぎてるのだろうか?

兄も兄で感情が空回っている。
家族で同居する、と言い出した。
できるだけ長く孫と一緒にいさせてあげたいと思う気持ちも分かるけれど、自分は仕事でいないのだから、家にいるのは嫁と孫だ。
しかも2歳と0歳という幼児を、体力勝負の治療に臨む親と同居させる?
実の娘ではない嫁が家にいて、両親がをつかわないわけがない。(嫁だって嫁両親だって嫌だろうよ)

それに、せっかく二人の時間ができたんだ。
子どもが手を離れて、犬と夫婦の穏やかな時間だ。
今まで一緒にいられなかった分、二人でいさせてあげたいという心配りはないのか?

「病気」ではなくて「生活」をみろ、と。


こんなに早く父を亡くすかもしれないことを想像していなかった。
長く単身赴任で家にいなかったとはいえ、やはり大黒柱だ。
母が大黒柱になれるわけでもない、兄がなれるわけでもない。
まして私なんて無理だ。

漠然とまだ親は元気だと思っていたけれど、とうとうそういう年齢になってしまったのかと時の流れの早さを恨む。
いつからこんなに毎日ぼんやり生きるようになってしまったんだろうか。

個人的にな30過ぎたらいつ死んでもいいかな、と思っていた。
たぶんそれは今でも変わらない。
父を思って流す涙は、悲しさからではなく、寂しさからかもしれない。
周りが泣くから、私も泣かなければ、という義務感からかもしれない。
祖父が亡くなったときも、愛犬が亡くなったときも同じだった。
生きとし生きるものはいつか必ず生を閉じる。
閉じるとき後悔のないように。
そして、側で泣いてくれる人がいるように。
閉じた後もたまに思い出してくれる人がいるように。

友人が多いことは良いことだ。
けれど、多ければ多いだけ、失う辛さが伴うということならば、私はシンプルに生きたい。
大切な人と、大切な友人を数人と。
きっとそれでも人生は幸せだ。

明日はきっと晴れるかな。
あと何度、愛犬のお散歩ができるかな。
あと何度、好きといえるかな。



Love mitsuha__

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