星のない夜に


今更ながら僕の略歴について話しておこうと思う。
名古屋で生まれ、大阪、茨城と転々とした後に横浜で中学を過ごしてからは殆ど東京にいる。主僕が書くことはこの横浜から東京にかけてのことだ。

比較的東京に近い横浜(最寄駅から電車で20分で渋谷)だったので、中学の時からずっと東京に行きたいと思っていた。地元に対してただ、ぼんやりとした不満だけが無限にあってその反動で東京に行けば何かが変わると本気で思っていた。高校は都内の私立に進学したが、結局そこでも何も変わらなかったので、僕は学校ではなく外で刺激を求めた。

Twitterでバンギャとオフパコしたり、実際にセッションバンドなんかもやってバンギャと繋がったりもした。それでも何か足りないなと感じながら大学に期待することにしたが、思う様な上手くいかずに浪人した。浪人生活が終わったその瞬間、最後の受験が終わったその次の日に僕は歌舞伎町にいた。


高校時代も歌舞伎町にはよく遊びにいっていた。カラオケ、ボーリング、カフェ、居酒屋。そんな僕が一番やってみたいことがホストだった。体入に行って、なんとなく最初にいった店で働くことにした。働いて暫くして、ホスラブに寝顔を晒されるというあるある失態を犯して僕は歌舞伎町を去り、秋葉原にあるメイド喫茶でキッチンのバイトをすることにした。今日はその時のことを話します。


僕がキッチンをしていた店で青豆と出会った。青豆は服飾系の専門学校に通う子で、パパ活をしていた。メイド喫茶で働くのはその反動としてのヒロイン感だったと会った日に聞かされた。僕は彼女のことを本当になんとも思わなかったのだけど、青豆からラインを聞かれた。今度飲みに行こう、そんな取っ掛かりだった。いざその日になると少しウィンドウショッピングをして、その後にホテルに入った。むしゃくしゃするとしたくなるとパパ活女子こと青豆はピロートークで語っていた。とにかく話を聞いてほしいといった感じでひたすら青豆の話を聞き続けた。何時間も何時間もとにかく。メイド喫茶内で店長とうまくいっていないこと、実家が静岡にあってそこから秋葉原まで通っていること、両親とうまくいっていないが、二世帯住宅の関係で母親が義母の顔色を気にして東京で一人暮らしさせてくれないということ。僕が同調できるものもあればできないものもあった。それでも聞き続けて、チェックアウトの時間になり、僕からあとも全部聞くから一旦出よう、そういって外へ出た。

その後も場所を変えて話を聞き続けた。数ヶ月後青豆は一人暮らしを始めて僕はそこに転がり込んだ。

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