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赤道を越えて 南北アメリカ自転車縦断 エクアドル(1)

4月8日、コロンビアからエクアドルに入る。イピアレスからエクアドルとの国境まではほんの2㎞ほど。コロンビア側は大勢の人がいたが、彼らは皆別の用事のようで、出国の窓口に並んだのは自分だけだった。

担当者は何か別のことをやっていて、しばし待たされる。こういうところでは何よりも我慢が必要(笑)。彼がちゃんと仕事を始めてからはあっという間に手続きが終了した。

橋を渡ってエクアドルへ。こちらも他に旅行者はなくスムーズだった。60日の滞在で申請したら90日くれた。どうやらエクアドルは皆自動的に90日の滞在許可をもらえるらしい。自分のガイドブックには「コロンビアからの入国者は徹底的に荷物を検査される」と書かれていたが、そんなものは一切無く、費用を取られることもなかった。

国境から5㎞ほどのところにトゥルカンの町があったので、入ってみる。自転車に乗っていた若い男性に呼び止められる。彼も「英語の先生」だそうだ。彼に街中を案内してもらう。

中央広場では学校の制服を着た子供達が集まっていた。(このあたりの国では皆制服を着ている。)みんな手に風船を持っている。これから行進が始まるようだった。

何かの祭りかと思って「英語の先生」に聞いてみたら、実は数日前にローマ教皇がお亡くなりになり、その葬儀が4月8日の今日なのだそうだ。

確かに、トゥルカンでもこの先の町でもいくつかの家では玄関に赤い旗のようなものが掛けられていた。さすがカトリックの国だけある。

いつ行進が始まるのか分からなかったので、先を行く。案内してくれた「英語の先生」にお礼を言って、トゥルカンを出る。そこからはずっと登り。その登りをクリアしてからはサン・ガブリエルまではほぼずっと下りだった。

国境からサン・ガブリエルまでは50㎞ほど。しかしその先のイバラまではまだ90㎞あるので、まだ昼時だがサン・ガブリエルで泊ってしまうことにする。サン・ガブリエルの街の中心はかなり高いところにあって、自転車を押して歩いた。中央広場に面して宿があり、1泊2ドルだったので、そこにチェックイン。(エクアドルは自国の通貨を持っておらず、アメリカドルが流通している。)

すぐに街を散策。食堂で1.4ドルの定食を食べる。ライス、チキン料理、サラダのワンプレートにスープと飲み物が付いてきた。お隣コロンビアの食事と何かが変わるわけではないけれど、単純に美味しい。ただ、1.4ドルは安い、と思ったが、後で街歩きをしたら1ドルで提供しているところも結構あった。

お釣りに1ドルコインをもらってビックリした。1ドルコインにはちゃんと「United States of America」と記されていて、発行年は2,000年。しかしアメリカで1ドルコインなんて見たことない。(なぜならアメリカでは「1ドル」はお札だから。)しかも図柄をよく見ると、赤ちゃんを抱いたアメリカ先住民らしき女性が描かれている。ん?アメリカのコインにインディアン?なんか怪しい。

アメリカで流通していないアメリカ製コインがエクアドルで流通しているって、そんなことあるのだろうか?

ちなみに他のコイン(1セント、5セント、10セント、25セント、さらにアメリカにはない50セントもあった)を見てみると「エクアドル」と刻印されているものもある。エクアドルの基軸通貨はアメリカドルだが、コインは自分たちでも発行しているらしく、アメリカのものとエクアドルのもの両方が流通していた。

、、、1ドルコインの謎はその後キトの宿で仲良くなったアメリカ人旅行者が解決してくれた。もちろんれっきとしたアメリカコインで、ごくわずかながらアメリカ国内でも流通している、とのことだった。

午後はシエスタでどの店も閉まってしまうので、一旦宿に戻ってから、また夕方に街に出る。おやつに屋台で売っていたお菓子を食べる。ご飯にころもを付けて揚げたもの。粉砂糖をかけてくれる。普通に美味しい。これで10セント。

夕食は1ドルのところで食べる。鶏肉のかたまりがドンと出て来て、ボリュームもあるし、美味しい。ちなみにエクアドルでは夕食は「meriendas」と言うらしい。私のスペイン語の本にはmeriendasは「おやつ」と書かれている。スペインのスペイン語と違うのが面白いと思った。

※※※※※

翌日は朝方は雨だった。一瞬もう一泊するか迷ったが、サン・ガブリエルですることは何もない。大した雨ではなかったので出発する。

ところどころ晴れ間も見えて、霧のベールに覆われた山々もそれはそれで美しかったし、大きな虹も見えたし、このくらいの雨なら「雨の中のサイクリング」も十分楽しい。

雨は途中で上がり、ふと気づくと周りの山々は乾いたはげ山になっていた。植物も乾燥地帯にあるようなとげとげしい感じのものに変わっていた。今は雨期だが局地的に雨が少ない地域なのかもしれない。

イバラまで残り33㎞のところまではずっと川沿いに下っていたのだが、そこからは登りに変わる。しばらくするとまた雨が降ってきた。いつの間にか植生が緑に変わっている。こんなに短い距離でこうも景色が劇的に変化するのか、と驚いたのもつかの間、今度は本格的な雨になる。

、、、こうなるともう楽しくない。ついさっきまで「雨のサイクリングもいいな」なんて呑気なことを考えていた自分にツッコミを入れまくる。

途中雨宿りできるようなところも全然ない。ひたすら雨の中の修行。ここにはとても書けないような罵詈雑言を神様に浴びせまくる。

イバラの街にだいぶ近づいたところで、ようやく屋根の下で休憩したときにはヘトヘトだった。

イバラの街に入り、ガイドブックに載っていた宿に行ってみると、何と1泊5ドルと言われる。(ガイドブックには1泊2ドルとあった。)昨日は2ドルで泊れたことを考えるとさすがに5ドルは高すぎる。

ガイドブックに載っていない宿をいくつか当たって、1泊3ドルのところを見つけたので、そこにする。カラオケバーが併設されているので、夜が心配だが。でも夜静かな5ドルの宿と夜うるさい3ドルの宿なら、やっぱり後者が良いと思う。(←どんだけ貧乏人なんだよ)

久々にネット屋に行く。友人に近況報告をした後、阪神タイガースの状況を確認する。シーズンはまだ始まったばかりだが、5勝2敗1分でなんと単独首位。おいおい、今年は絶対優勝するなよ。(阪神ファンです。)

宿は夜も騒がしいことはなく、ぐっすり眠れた。

※※※※※

翌日は打って変わって快晴だった。イバラの町をとりまく山々を見渡すことができる。雨と晴れだとここまで見える景色が違うのか。

小さな町をいくつか抜けて10時前には20kmほど先のオタバロに到着。入口の案内板には「標高2,566m、人口90,000人」と書かれていた。

この日は日曜日だった。オタバロで有名なサタデー・マーケットは昨日だったが、この日も中央広場にはクラフトや織物や土産物の露店が沢山出ていた。中でも織物の極彩色は「いかにも南米」という感じがする。

良い天気だったので、そのまま先を走りたい気もしたが、マーケットも面白そう。迷ったが、「とりあえず」最初に当たってみた宿が1泊3ドルだったので、そこにチェックインしてしまった。

まだ早い時間だったので、2週間以上ぶりに短パンを洗濯。洗った後の水が真っ黒になるのは毎回のことなのでもう慣れてしまった。

街に繰り出す。インディヘナの人たちが多い。(「インディヘナ」とは中南米アメリカ先住民を指す言葉で、差別的ニュアンスが含まれる従来の「インディオ」に変わる言葉です。)

彼らの衣装が面白い。男性はひざ下までの白ズボンと白いサンダル。上半身はブランケットのようなものを羽織っている。足元寒くないのだろうか、、、。そしてみんなパナマ帽子とやらをかぶっている。(ちなみに、パナマではパナマ帽子をかぶっている人を一人も見かけなかった。)

女性は黒の布を腰に巻いてスカートのようにしているようだ。上半身は白のブラウスに黒い帯のようなものをたすき掛けにしている。髪は皆長髪で、それを後ろに束ねてカラフルな布のようなものを巻いている。金色のネックレスやブレスレットをいくつも身に付けていて、何ともカラフル。

買い物には全く興味がないので、広場のベンチに座って彼らが通り過ぎるのをボケっと見ていた。

広場でブラスバンドが演奏を始める。しかし曲が終わっても誰も拍手しない。これがエクアドル式か、と思って自分も拍手はしなかったのだが、そこにアメリカ人おばさん4人組がやってきて、彼女たちは曲が終わると盛大にパチパチやる。そうすると、それにつられて地元民も何人か拍手をし始めた。

周りを気にすることなくあくまで我を通すところはさすがアメリカ人、と思ったが、ブラスバンドの人たちはやっぱり拍手をしてもらった方が嬉しそうだった。

※※※※※

4月11日、いよいよエクアドルの首都、キトに向かう。

標高2,700mの町カヤンベを過ぎて5㎞くらい行ったところ、道路沿いに赤道のモニュメントがあった!

キト近郊には観光名所になっている立派な赤道記念碑があって観光客でごったがえしている(らしい)。一方、こちらの記念碑は道路沿いに石で出来た直径2mくらいの地球儀が置いてあるだけだったが、そこからちゃんと赤道のラインが引かれていて、そのラインを跨げば北半球と南半球に同時に足を踏み入れていることになる。

こちらは観光名所でもないため、私しかいなかった。この場所を訪れることができたのは、自転車旅行の特権と言えるだろう。

アラスカに入ったのは去年の6月11日だった。それからちょうど10カ月でここまで来た。長かった。いや、でも短かった、、、というか、あっと言う間だったかも。

ここからは南半球。まだまだ先は長い。でも終わったときにはそのときも「あっという間」だったと思うのだろうな。


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