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自分探しの旅? 南北アメリカ自転車縦断 コスタリカ(1)

2月19日、ニカラグアのリバスからコスタリカのリベリアまでの120㎞ほどを走る。

国境に着くと、一人の若者がやって来て彼に2ドル、そして窓口で1ドル払うように言われる。現地通貨のコルドバだとそれぞれ32コルドバと16コルドバとのことなので、まず彼に32コルドバを渡すと、コスタリカの入国時に必要な書類をくれた。しかしこの書類は本来無料のはずで、これは彼に騙された可能性が高い。

窓口の16コルドバは正規のもので、ちゃんとレシートが出てきた。この16コルドバは出国事務所に入る「入場料」のようなもので、これでようやく事務所の敷地内に入ることができる、らしい。

出国の際は更に2ドルか35コルドバが必要だったが、もちろんコルドバで払う。これでうまい具合に(?)コルドバがきれいさっぱり無くなった。虎の子のドルは使わずに済んだので、まあ良しとする。

それからコスタリカ側へ移動。ニカラグア出国はガラガラだったのに、コスタリカ入国は長蛇の列だった。

おっさんに話しかけられ、彼を通すと速く手続きが済むそうだが、当然金がかかるので断る。しかしなぜ彼を介すと手続きがスピードアップするのか全く謎。でも「途上国あるある」だな、とは思う。

ニカラグア側で若者から入国用書類を「買った」からかどうかは分からないが、コスタリカの入国に費用はかからなかった。

土曜日だったが、同じ建物内の銀行が営業していたのは助かった。トラベラーズチェックは不可だったので、現金30ドルを両替する。1ドルが465コロンで13,000コロンちょっとになった。だいたい400コロンを100円と考えれば良さそうだ。

コスタリカ入国後、最初は山道だったが、途中から緩やかな丘陵地帯となり、どこまでも牧草地が続くようになる。

風が強い。「ゴー」とうなりをあげるすごい風。牧草地というのは、木がないので風にさらされる。しかも、道路側から吹く横風だったので、脇を通り過ぎる車の影響をもろに受ける。大型トラックが通り抜けると、自転車が揺れて、そしてスーッと吸い込まれる。

乗用車が脇を通過したときに、よけようとして段差にハンドルを取られて転んだ。手のひらのかすり傷で済んだが、転んだのは久しぶり。こんなに怖い思いをしたのも久しぶりだった。

ハンドルをぎゅっと握って走っていたので、手が痛くなる。リベリアに着いた時にはへとへとだった。

1泊2800コロンの宿にチェックイン。夕食は町の中心の屋台のようなところなら安いだろうと思って、そこでハンバーガーとポテトを食べる。最初に値段を確認していなかったのだが、1500コロンもした。ポテトもほんの少しだし、これならアメリカのファーストフードの方が安い。コスタリカの物価はなかなか高そうだ。

逆に安かったのはバナナで1本なんと17コロンだった。100円出せば20本以上買えることになる。現地産だからか、ビックリするくらい美味しい。コスタリカでは町にいるときの昼食は基本バナナとなった。

※※※※※

次の日は下痢したこともあり、50kmほど先のカーニャスで1泊。とにかく風が狂暴すぎて走っていても面白くないどころか、苦行。

普通であればこのまま1号線を走って首都サン・ホセを目指せばよいのだが、1号線は大型トラックも多く、ここまで走って全然面白くなかった。そこでカーニャスからは急遽進路を変えて、アレナル湖へと抜ける142号線を行くことにする。

2月21日、カーニャスを出発。この日もとてつもなく風が強かった。21km先のティラランまでなんと2時間半もかかった。ただ、1号線を外れたおかげで交通量はぐっと減ったのはうれしい。

ティラランに着く手前で、前方から霧雨が降ってくる。自分の周りは晴れているのに、遠く前方に雨雲があって、その雲からの雨がはるばるここまで飛んでくる。まあ、涼しくなるのは良かったけど。

ティラランの銀行で両替をする。トラベラーズチェックを出したら、「うちはアメックスのものしか受け付けないから」と断られる。「これはアメックスのですよ」と言って、トラベラーズチェックに書かれているアメックスの小さなロゴを示すと、窓口氏は上司に確認していたが、最終的に無事両替できた。

しかし、中米ではトラベラーズチェックの両替は毎回何かしらのトラブルがある。(トラブル、というほどのものでもないけれど。)もちろん、現地の銀行のスタッフにとってはトラベラーズチェックなんて普段見かけないものだろうからこれは仕方ない。毎回起こるトラブルを楽しむ、くらいの余裕は必要だな、と思う。

その後雨が降って来たので、ティラランで1泊してしまう。実は雨は本当に久しぶりで、記憶をたどると、メキシコのパレンケで大雨に降られて以来。実に3ヵ月ぶりの雨だった。

ティラランは山の中の町であり、標高がそこそこあるので、それほど暑くはない。そのせいか、宿のシャワーを浴びたらなんとお湯が出た!

水シャワーにはもう慣れたけど、やっぱりお湯は嬉しい。

せっかくなので、いつもの下着とTシャツ以外に短パンも洗濯する。短パンの洗濯は2ヵ月ぶり。洗った後の水が真っ黒になりました(笑)。

※※※※※

翌朝、ティラランを8時前に出発する。天気は相変わらずで、降ったり止んだりを繰り返す。

風景はティラランの前後で劇的に変わった。それまでは乾燥していたし、植物の色も皆茶色だった。ティラランから先は緑色に満ちている。

ここに限らず、中米では乾燥した太平洋側と湿気の多いカリブ海側で風景がガラッと変わる。太平洋からカリブ海までせいぜい100㎞ほどしかないのに、全く別の気候帯のようだ。

アレナル湖の手前で雨は止んだ。そしてコスタリカに入国して初めてサイクリングを楽しめた。湖畔の道はかなり入り組んでいたし、アップダウンも多い。湖畔のサイクリングも楽しかったが、湖畔を少し離れると緑が濃くて、もうこれは完全にジャングルの中のサイクリング。

道端に4つ足のタヌキのような動物がそこかしこにいて、こちらが「チッ、チッ」と音を出すと寄ってきたりする。人を全然恐れない。そしてたまに見かける鳥はどれも極彩色だった。

楽しいと時間は短く感じる。ふと時計を見ると「えっ、もうこんな時間なの?」と思うのは久しぶり。(コスタリカ入国してからずっと「えっ、まだこんな時間なの」だった(笑)。)

午後1時にフォルトゥナに着く。フォルトゥナはコスタリカに数多くある火山の中でも最も活発なアレナル火山の麓にある町で、西洋人相手のエコツーリズムが盛んらしい。実はコスタリカ有数の観光地で西洋人観光客で溢れかえっていた。ホテルと土産物屋の数がやたらと多い、というかそれしかない感じ。

ガイドブックに載っている宿は高すぎるか満員かのどちらかだったが、大聖堂のちょうど裏側、というロケーション最高のところに小さく「ホステル」の看板が出ていたのを発見する。聞いてみるとメインはツアー会社なのだが、片手間にホステルを始めたらしい。1泊2630コロンとフォルトゥナの宿としては格安だったのでそこに泊まることにする。まだオープンしたばかりで、とてもきれい。更に全然知られていないため宿泊客は自分一人だけだった。

宿がとても快適だったこともあり、休息も兼ねて2泊した。しかし天気がイマイチで、肝心のアレナル火山はついにその全貌を見せてくれることはなかった。

それにも関わらず、フォルトゥナでの滞在が印象に残っているのは、そこで日本人のおじさん旅行者に出会ったからである。

2日目に町を散歩しているときに「日本人の方ですか」と声を掛けられた。まさかこんなところで日本人に会うとは、とお互いにビックリして、立ち話をする。

彼は眼鏡をかけていて、顔も角顔で、良く言うと「とても真面目そうな人」であり、悪く言うと「融通の利かなそうな人」だった。なんか日本の役所によくいる感じの人で、会った瞬間からこれは苦手なタイプだな、と思ったのだが(笑)。

彼はある日本の大手企業で働いていたが、有休を使って久しぶりの海外旅行だそうだ。(なぜ、わざわざコスタリカに来たのかは聞かなかった。)

彼は私がアラスカから南米の端まで自転車で旅行していると聞くと、表情を変えずに「ああ、自分探しの旅ですね」と言ったのだが、そのときの彼の眼差しや声の調子が、いかにも馬鹿にしたような、というか「軽蔑を隠そうとしたけど隠し切れませんでしたよ」という感じだった。

私がこの旅行をしている理由は別に「自分探し」ではない。単純に「いろいろな国を見て回りたいから」である。この旅行はそれ自体が目的であって手段ではない。

その一方で、「自分探しの旅」というフレーズがしばしばネガティブな意味で使われていることには強烈な違和感を感じる。

そこにあるのは、「何を甘えているんだ」とか「社会の落ちこぼれめ」とか「俺はお前と違ってこうして社会で頑張っているんだ」とか、大方そういった思想であるように思う。

でも、自分探しのために旅が必要かどうかはともかく、自分を探すことをしないで人生をずっと生きていくって、ある意味恐ろしいことではないだろうか。

、、、なんて議論を彼にふっかけても、彼からしたら迷惑なだけだろう(笑)。彼には「そうかもしれませんね」とだけ答えて別れた。

自分探しに旅が必要だと思う人は、旅をすればよい。いや、ぜひともしてほしい。

そして自分はそれをしっかり応援できる人になりたい、と改めて思った。

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