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私の地元は、雲の上。|ショートショート

たしか右です、左です。みたいな感じの歌だった気がする。

25年ぶりに訪れた地元は、街全体がほとんど変わらずセピア色にかすんでみえてあの頃にワープしたのかと思った。

しかしよく見てみると、建物の位置や形状は変わらなくても実際に営業している店は少なく、人影は見えない。

出身地であるKUタワーが完成したのは、私が生まれる900年ほど前。

あの頃はまだ天空窒素が豊富で上に行けば行くほど、良質な原料がとれると、街をあげてタワーの建設が進められていた。

少しづつ、でも確実にぶくぶくと膨れ上がったタワーを取り巻く人々の欲望は、止まるところをしらなかった。

天空バブル946と呼ばれたこの時期は、KUに続いて全国でタワーが乱立していった。

もちろん始まりがあれば終わりがあり、私が生まれた頃のKUタワーは、あのころの面影はなく、ただのグレーのつまらない箱でしかなかった。

天空窒素従事者の家族の例に漏れず私の家もタワー内に作られていたけれど、私たちの世代が成人した頃には、従事者になる者もすくなくなっていて、私は地上に降りることを早々に決めていたし、戻る気もなかった。

あれから15年。

久しぶりの地元への旅路は、天空への景色が楽しめるということで、今では観光スポットとして人気があり、国外からやってきた観光客で溢れかえっていた。

高齢の観光客達は、移動中もプールや映画館、豪華なレストラを楽しんでいる。

15年振りに乗った高速大型エレベーターには、当時と同じCMソングが流れていた。

「右も左もございません。雲の上にはございません。右も左も、みんな仲良く。雲の上の楽園へ〜♩」

タワー上部へ向かう高速大型エレベーターに乗って10年。

バブルが終わった今もタワーは、細々と上へ伸びつづけているらしい。





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