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連載「須田一政への旅」・第2回

静止画でありながら、須田さんのイメージは、常に動いているエンドレス映画のよう


伝説の8ミリ映画

 本誌(日本カメラ)2006年2月号口絵ノートに須田さんが8ミリ編集機を覗き込んでいる写真が載っている。拡大鏡を装着して現像された8ミリフイルムの一コマづつをチェックしている様子だ。そこから一枚写真を選ぼうとしてる須田さんは、時計職人や研磨職人のようでもあり、何かの実験をしている科学者にも見える。そこに差し出された不可思議な画像そのものに没頭しハマり行く姿に、須田作品の本質が埋め込まれているといっても過言ではない。

 記事は口絵作品「 KINETICSCAPE」の解説として林誠治さんが書かれている。そのタイトルも「見ることへの欲望を定着させる頭脳直結撮影装置」とある。その頃、以前撮っていた「ミノックス」シリーズの発展形のように8ミリカメラで何やら撮影していたのを覚えている。「ヒッチコック映画」が好きだった須田さんだが、日本映画や洋画にも詳しく、唐突に先週見た映画の話から会話が始まることもしばしばあった。

 「KINETICSCAPE」は「ロンドコピーチューブ」で一コマづつ複写した作品。静止画でありながら、須田さんのイメージは常に動いているエンドレス動画のようなもので、「一枚の静止画に未来まで取り込んでしまったようだ」と答えている。作品の元となった8ミリフィルムは当時「LANDSCAPE」と「NUDE」の2画面による映像作品として、渋谷の「ナダール」で短期間のうちに上映された。私もうっかり見逃した伝説ともいえる作品だが、京都国際写真祭2018の際ギャラリー「 SUGATA」で「 LANDSCAPE」を、そして 2019年末には東京の「PlaceM FILMFESTIVAL」で「 KINETIC CHRONICLE 」として2本続けて再上映された。

「 LANDSCAPE」には映写機のカタカタカタという音が被る。時折引っかかるような音も。映像の緊張感と掻きむしるような感覚はまさに須田さんの作品ならではのリアリティ。

 その映像体験は凄まじいものがあった。「NUDE」( 3分)の密室であろう空間における執拗なカメラワークと部分の切り取りは、もはやエロスの極地ともいえるショットの積み重ねからなっていた。湿気が画面を覆い、見ているこちらも汗ばんで行くほどの強引さが「場」に充満していた。改めて須田さんの飽くことのない好奇心が突き刺さった。そして秒18コマ以下の無作為なスナップが羅列する「LANDSCAPE」(15分)では、結局8ミリカメラを使うことは、須田さんとって膨大な数のシャッターを押していく行為の一つだったことを物語っていた。そこでは「写真」が「映像」を凌駕していた。
 映像と映像の狭間。自分が「見ていない瞬間」を確認したいという欲望。エロスの洪水と目の回るカメラワークの陰に、ストイックな企みが浮かび上がる。

須田さんの8ミリフイルム複写を、ニコンの「フイルムデジタイジング・アダプター」を使い再現してみた。ひと続きの「時間」が崩壊しただの断片としての「写真」が見える。

                          日本カメラ2020年2月号



古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。