HEAVY METALと出会ってからの壮大な人生をここに記す #3
1985年4月、私は中学3年生になり
期待と不安を抱きながら
新天地での生活が始まった。
とは言いながらも、転校前の面談で
バスケ部に入部することが決まっていて
転校初日から部活動の見学に行ったこともあり
クラスにはすぐに溶け込むことが出来た。
後はメタルやハードロックの話が出来る
友人と出会いたい…
そんな思いを抱えて数日が経過したある日
唐突に"その日"はやって来た。
私の隣の席に座っていたNさんと言う女子
見るからにヤンキーぽい風貌で
正直、声をかける機会がなかったのだが
そのNさんがある日僕の筆箱を見て
こう言った。
「見た目と違ってエグい趣味の筆箱だよね?」
当時、私が使っていた筆箱
いわゆるカンペンケースは
アイアンメイデンの「Piece Of Mind」の
ジャケットのデザインだった。
確か「MUSIC LIFE」誌の通販で
購入した記憶がある。
好きで使っていたのはもちろんだが
メタル好きの人へ向けたアピールでもあった。
そこに食い付いてきたのがNさんだった。
「あ、これ?好きなバンドのアルバムのジャケットの筆箱」
「へぇ~?そうなんやー?」
そんな会話をした数分後のことだった、
教室の一番後ろの席に座っていた
明らかに品行方正とは思えない一人の男子が
私の席の前まで来るとこう言った。
「おい、転校生!ちょっと今から屋上来れるか?」
ヤバい…と本能で察した。
もしかしたらNさんは彼の彼女で
親しく話す私を見て不快に感じ
屋上で制裁を加えるつもりなのでは?
だが私とて男の端くれ、
何もせずにただやられるのはご免だ、
私はいざと言う時のため懐に鉄の棒を仕込み
制服のボタンを固定するのに使っていた
チェーンをほどいて準備すると
(昔はそう言うのが流行っていたのでw)
意を決して屋上へ向かったのだが
そこで待ち受けていたのは
先ほどのいかつい表情の彼ではなく
照れたような笑顔で私を出迎えた
一人の男子の姿だった。
そんな不良らしきクラスメイトの名前はO君
開口一番、O君はこう言った。
「自分、メタル好きなんか?」と。
よくよく話を聞いてみると
彼はスコーピオンズのファンで
「これ持ってるか?」と
わざわざ屋上まで持ってきてくれたであろう
袋に入ったレコードのジャケットを
見せてくれた。
それはスコーピオンズの新しいアルバム
「Love At First Sting」だった。
(邦題は「禁断の刺青」)
「(Rock You Like A ) Hurricane」など
名曲揃いのアルバムですが
個人的にはこの曲がめちゃめちゃ好きです⬇️
「Coming Home」スコーピオンズ
この日彼はこのアルバムを貸してくれ
(何故か持って来ていた)
翌日、私が前作「Blackout」のカセットを貸し
あっという間に打ち解けた私たちは
お互いが持ち得る情報を余すことなく
共有するようになった。
こうして私はO君からの情報で
洋楽のみならず邦楽のメタル、
ジャパニーズメタルと出会うことになる。
それまでも前の学校では
アースシェイカーや44マグナム
そこまでハードではないサウンドではあるが
ブリザードやメイクアップなど
そう言ったバンドたちに触れる機会はあった。
しかしメタルのリズムに日本語の歌詞が乗ると
やはり歌謡曲の延長的なイメージを抱き
そこまて深くは聴いていなかった。
(44には英詞の曲「Satisfaction」があったが)
しかし私はまだ知らなかったのだ
日本語ではなく英語の曲を歌い
そしていち早く海外へ拠点を移して
活動しているあるバンドの存在を…
それこそがジャパニーズメタルの創始者
LOUDNESSだった!
初めて聴いたのは「撃剣霊化」「DISILLUSION」の英語バージョンのアルバム
「Crazy Doctor」
「Dream Fantasy」などなど
⬆️こちらは英語バージョンです
メロスピ好きな方は好みの音かもw
名曲のオンパレード。
何と言うテクニックだ!
そしてめちゃめちゃ複雑なリズム!
こんなバンドが日本にいたなんて!
そして…「これ、スゴいぞ!」
と、O君が貸してくれたのは
「Thunder In The East」
言わずと知れた
ラウドネスの世界デビュー作である。
アルバムのオープニングを飾る代表曲
「Crazy Nights」
衣装やメイクが当時のL.A.メタル隆盛期を
反映している感が大きいですね。
そんな矢先、テレビであるCMが流れた
~今や世界のラウドネス…ツアー決定!
そう、ライブ告知のCMだった。
こうして私は人生で初めて
メタルバンドのライブを体感したのだった。
ところでこのO君やNさんにまつわる
エピソードは自作小説の中で
実体験込みでかなりリアルに描いている。
(こんなとこで宣伝入れる?(笑))
先にお断りしておくがかなりの長編である、
エピソードは第38章の3話に登場するので
気になる方は目を通してもらえると
大変嬉しく思います。
こうしてメタルに関する知識を少しずつ広げ
また共有出来る仲間も増えていった。
この年代、1980年中盤あたりから
音楽に関する情報手段の方法を
雑誌から得られるようになった。
前年「SUPER ROCK 84」が開催され
翌年の「85」の様子を雑誌で見たことにより
私はDIOと言うバンドを知った。
雑誌にメタル系のバンドの掲載が以前より
確実に増えていた、
それはHM/HRの認知度が少しずつであるが
上がってきた証拠と言える。
そして当時は"音"だけしか知らなかった
バンドのメンバーの顔がようやく判別出来る
ネットですぐに検索できる今の時代からすると
信じ難いことかも知れないが
この頃はこんなのが当たり前だった。
こうして私はメタル好きの称号を携え
高校へと進学した。
そして高校進学の少し前くらいから
私たちメタルファンにとって
革命的とも言えるある出来事が勃発した
それはメタル専門誌の登場
ここから私の愛読書のひとつに
「BURRN!」が加わることになった。
次回から高校編でーす!
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