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悲しみも不甲斐なさも、あん肝パワーで乗り越える

最近、教習所に通っています。
「教習所」というと、ああ、車の運転免許のね、とたぶんほとんどの人がわかると思うのですが、それって不思議だなと思うんです。

「教習所」というのは、何かを"教え習う所"なので、自動車の運転免許に限らず、たとえば英語とか、簿記とか、ITスキルとか、そういうのを教え習う所も「教習所」と言ったら「教習所」ですよね。英語の教習所、ITスキルの教習所。

でも、そうは言わない。「教習所」と言ったら、車。浸透率すごいなあ、と思うわけです。車社会。

教習所に通い始めて、クルマ側の立場に立ってまわりを見渡してみると、つくつぐ、クルマ中心の世の中なんだなあ、と思うわけです。モータリゼーション。あちら側に行こうとしているのに、まだそこの部分の葛藤のようなものがあって、それが仮免を遠くしている原因のひとつでもあるんですけどね。(たぶん違う)

そんなこんなで、S字クランクに苦戦しながら、車社会に抗いたい気持ちと葛藤しながら、ショボンとしながらバスを降りてパッと顔を上げると、そこにあったはずのものがない。

良いことがあった日も、うまくいかなかった日も、ふと見上げればそこには大きな樹があって、「おかえり、お疲れ様」って言ってくれていた、大樹が…。

切り口が痛々しいほど新鮮な様子で、私と同じ背丈ほどまで小さくなってしまっていました。

泣きたかった。

トボトボ。
玄関の鍵をあけて、中から笑い声。
ただいま。声がかすれても、もう一度言う力は出ない。

夕飯。
テーブルにガスコンロ。
「今日はアンコウ鍋だよ~」
それから、馬刺しと鯵の炙り。ちょっぴり豪華。

テレビから杏のナレーション。世界遺産、今日は島々の特集。
どこまでも広がる青い海、空、何百年も前の人々の想いが詰まった石垣、ぶどう畑、オリーブ畑。

気づいたら、さっきまでの泣きたい気持ちとか、モータリゼーションへの不満とか、自分の不甲斐なさとか、どっかに消えてしまっていました。

「海とか空とか見ているとさ、自分の悩みとかってなんてちっぽけなんだろう、って思うよね」

食卓を囲ってごはんを食べる。
テレビを観て笑う。心を動かす。

つくづく、単純だな私、と思いつつ、あたりまえの日常だけれども、大事なことだなあ、と、あたたかい湯船に浸かりながらしみじみ思うのでした。
これからも、大切にしよう。

#元気をもらったあの食事

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