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「長崎歳時記手帖」 第4回 蘭船出航 出島の風景 亥の子 炉開き

季節感を深呼吸!
いまにつながる江戸時代の暮らし「長崎歳時記手帖」

第4回 蘭船出航 出島の風景 亥の子 炉開き

 いまに伝わる年中行事や風俗習慣を、江戸後期の長崎で生まれた「絵」と「文」ふたつの歳時記を中心に、一年かけてご紹介していきます。

 今回は、阿蘭陀船の出港と、出島の様子を見てみましょう。江戸時代の長崎は、オランダと中国の貿易港として成り立っていました。西洋の文物が入ってくるのは長崎だけでしたので、それを運んでくる阿蘭陀船の出入港は一大事です。入港は、だいたい夏の初めごろでしたが、出港は日にちがきっちり決まっていました。見物人も集まって、ちょっとしたお祭り騒ぎだったようです。

 「絵」は、町絵師で出島出入り絵師の川原慶賀が描いた「長崎歳時記」のシリーズ、そして今回は「唐蘭館絵巻」を見ていきます。時に「シーボルトのカメラ」とも言われた慶賀さんの絵は、西洋人が日本人の生活を知るための依頼によって描かれていますので、当時の生活の様子を、まさに写真のように伝えてくれます。
  慶賀作品は原則として長崎歴史文化博物館のウェブサイト内にある「川原慶賀が見た江戸時代の日本(I)」からの引用でご紹介します。


 「文」は、長崎の地役人であり、国学者でもあったという野口文龍による「長崎歳時記」。元旦から大晦日までの年中行事やならわしが、細かく記されています。鎖国時代において国際貿易港であった長崎には、日本全国に共通していた年中行事に加えて独特の文化や風習がありました。文龍さんはそれがとにかく面白く、書きとめずにはいられなかったようです。

 ふたつの「長崎歳時記」をまとめた拙著「川原慶賀の『日本』画帳」をお手元に置いていただくのも、おすすめです!




阿蘭陀船出港

 くんちが終わると、長崎の町は一気に秋がやってきます。「くんちの終われば正月たい」とはよく言われることですが、その感覚は江戸時代に培われたもののようです。文龍さんの「長崎歳時記」では、くんちの九月はボリュームたっぷりですが、そのあとの十月、十一月は、どちらもあまり行事がなく、あっけなく終わります。時計やカレンダーの上での、一日、ひと月の長さはおなじでも、季節の移ろいとなると、今よりもはるかに伸び縮みしていたのではないかと想像します。
 現代では、くんちが季節の大きな区切りですが、江戸時代にはもう一つ、阿蘭陀船の出航というイベントがありました。貿易港長崎の生命線ともいえる阿蘭陀船が、今年の商売を終えて、長崎の港を離れるのです。それが、くんちの熱気も冷めやらぬ、九月十九、二十日と定められていました。
 それに向けた動きが始まるあたりから、ご紹介しましょう。

 九月十五日。阿蘭陀八朔といって、カピタンたちが奉行所や代官所、また、町年寄のところへ挨拶にまわります。出島では、阿蘭陀人や召使いたちが鶏や豚を殺して酒宴を開き、笛を吹いたり、木琴を叩いたりして祝います。

 十六日。阿蘭陀人は暇乞いをしに奉行所へ行きます。もちろん役人や通詞が付き添います。

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