で、サイン。あー!と。

デザインとは、物事を整理することだ。
コミュニティデザイナーの山崎亮は、「デザイン(design)とは、記号的な美しさ(sign)を脱して(de)課題の本質をつかみ、解決すること(1)」と捉えている。
デザインは、キレイに絵を描いたり配置すること、と捉えられがちな側面もあるが、それは最後の「アウトプット」の部分でしかない。
発泡酒「極生」のパッケージ、「ふじようちえん」の園舎、ユニクロの店舗などのデザインを手がける佐藤可士和は、自身の仕事を紹介した本で次のように書いている(2)。
・・・・・
(前略)ひとつのデザインを生み出すことは 、対象をきちんと整理して 、本当に大切なもの 、すなわち本質を導き出してかたちにすることだと思うからです 。
・・・・・
整理をすることは、デザイナーの仕事を円滑に進める技術というよりは、デザイナーの仕事そのものだと述べている。
この本のなかでは、「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」の三段階に分けて、自身の仕事を例に挙げながら、整理の方法を紹介している。本の内容そのものが、まさに見事に「整理」されているベストセラーだ。

無印良品のディレクションを手がける原研哉も、自著の中で「デザインは、モノの持つ本質をクリアにする」と述べている(3)。
原研哉の仕事は、プロダクトに留まらず、出版、エキシビションなど多岐に渡る。著書では、遂に実現されることのなかった、プレゼンテーション段階の愛知万博について触れている。プランは、江戸時代に描かれた「本草図説」をモチーフに、テクノロジーを駆使して「自然へのアプローチ」を捉え直す試みで、エキシビションを通して見えないものへの「気づき」を促すものだった。
まさしく、日本の持つ独自の世界観(4)を整理し直し「本質をクリアにする」もので、この案が実現しなかったのは残念でならない。

筆者の大学での専門は「Special Education」で、日本語に訳すと「抜群の教え方」だ(と勝手に思っている)。
「抜群に伝わりやすい教え方」。コツは、「主体は教育の受け手にあること」と「個人の能力によらず、環境や仕組みによること」。
この「環境や仕組みによること」が大事で、教育においても、伝えるべきことが整理されていなかったり、教室が散らかって情報が多かったりすると非常に伝わりづらい。Special Educationでは、教育の受け手に合わせて、環境(部屋、道具)や視覚(チェックリスト、写真)を整理し、最大限伝わりやすい工夫をこらす(5)。教育におけるデザインである。
Special Educationの対象は、いわゆる障がいのある児童、生徒とされる。しかし、先に挙げたコツは、受け手の障がいの有無に関わらず、分かりやすく伝えるための非常に有効な手法と言える。
そしてもう一つ。デザイン的な手法は、受け手の持つ「抜群の才能」を開花させるのにも役立つ(6)。

ところで、冒頭に挙げた山崎亮は、designの本当の語源も知っていた。語源は「作品に署名すること」。
さて、なぜ作品に署名するのか?
そして、もう一つの疑問が湧いてくる。もし、デザインが混沌として散らかった世界を「整理」するものだとすれば、もう一つの側面である「混沌」を担うべき技法は何か?つまり、これを担うのがアートと言えるかも…。
というところで、話は「美術」に続く。

「びじゅつのびはびっくりのび」というのは、鉄の彫刻家にして美術館のなんでも相談係、齋正弘のことば(7)。美しいにしろ、汚いにしろ、「うわー!」という心の動きが、美術というものの基本だ。
大野左紀子は、著書(8)の中で、アートを「市場」「教育制度」「父殺し」の3つの視点から説明する。
要約すると、今までにない新しい概念や価値の転換を提示する「父殺し」によって価値を得た美術作品は、「市場」の力によって値段が上がる(9)。そして、(美術館に所蔵され教科書に載ることで)「教育制度」の中に組み込まれ、あらたな「父」(既存の価値観)となる、という流れだ。
美術作品は、この流れの中に組み込まれることになる。
大野は、このアートの流れの始まりには、アートという存在そのものをゆるがす仕組みが組み込まれていることを看破する。既存の価値観を破壊する「父殺し」が現代アートの本質だとすれば、その矛先は必ずアートの存在そのものにも向かうからだ。そして実際、アートは少しずつ自己解体され始めているように思える(10)。
さて、大野は本の最後で、この流れとは別の「何か」を掴んでいる。それは次のような言葉で表現される。
・・・・・
「実際何になるのかわからないが、やらずにはいられない」
・・・・・
それは、作品になるかどうか、社会的にアートとして成立するかどうかを抜きにした、「つくる」という行為。その中には、「関係性をつくる」ことも含まれている(11)。
闇にボールを放り投げて、返ってくるか来ないか。そんな「出会い損ない」も辞さない「やらずにはいられない」行為が、「つくる」ということ。

齋正弘が、スティーブ・メイヤーミラーとのセッションで話した言葉を思い出す。
「彼は、『暗闇に向かう』と平気で言った。それが、ハンディのある人と活動するとき、最も大切なことですね」。
福祉は、英語では「welfare」という。つまり「良く生きる」ということだが、fareの語源は旅。良く生きるということは、何があるか分からない暗闇に向かって歩を進めていくこと(12)だったのだ。
その時、「福祉」の導き手とは、果たしてどのような人だろうか(13)?


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