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映画「怪物」を観て【映画感想文】

※ネタバレ有りです。
※とても面白く観た人間のつれづれとした感想です。

・まず、卓越した構成・脚本がとても巧かった

120分を超える時間、ずっと緊張感を保ったまま見続けられたのは、ひとえに脚本の巧さにあると思いました。

教師による児童への暴行事件という、キャッチーな事件の顛末を全体の軸に据えています。ただ、その事件の様相は三度その「事実」を替えます。母親の、教師の、児童の、それぞれにとって事件の「真相」は違うものだった。どれもが真実を含み、嘘をまじえていた。

何度も同じ時間軸を辿っているのに、不意に重ならない意外な側面がぬらっと顔を出す。その不気味さ、恐ろしさ、そして自分の思い込みの浅さをも思い知り、その先にある「真実」をさらに知りたくなり画面に没入していく。

真実なんてそう簡単に捉えられないと思い知りながらも、答えを知りたがって観てしまう。人のサガを思い知らされるようでもありました。

・その脚本をモノにした演技力の塊の役者陣がまた巧かった

どなたも、圧巻でした。

最初に惹きこまれたのは安藤サクラさんが田中裕子さんを詰問する場面でした。接触とはこういうことだ、と言い募る場面。怒鳴るでもなく激しい所作があるわけでもなく、ただ爆発寸前の獣が内側に宿っているのはわかる、怒りのこもったあの場面は、竦み上がりそうなほどの迫力でした。

その田中裕子さんの、どこかこの世ではないところを漂っているような超常的な佇まいは、過去作の朗らかなイメージをべりっと覆すほどの底知れない度量を感じさせられました。いまさらの話かもしれませんが。

そういう態度の理由もまたしっかりあり、同じように途方に暮れている少年に音楽室でかける言葉のやさしさから、この人も悪人ではないのだと感じさせます。みんなが手に入れられるものを幸せって言うの。きっとそうであってほしいと、あのどこまでも響き渡る音とともに深く想いました。

そして主演の少年二人、黒川想矢くんと柊木陽太くん。
彼らの演技は、きっと相当の努力を重ねた賜物なのでしょうが、そうは感じさせないほど自然体でリアルな「湊」と「依里」が画面上に生きていると思えました。素晴らしかったです。

・クィアを扱った物語として、その織り込み方が巧かったかは

簡単には言えないのですが、あくまで自分としては、
序盤から台詞や場面カットでその示唆を重ねてきていて、観る側にも勘付ける要素も多くあり(多分あえてわかりやすくしたんだろうと思うのですが)、けしてびっくり箱要素として用意していたわけではなかったですし、テーマにも向き合い、織り込めていた作品だとは感じました。

インティマシーコーディネーターもスタッフに加え、黒川くんたちのインタビューからも、クィアをわからないまでもその感情を持つ人の気持ちに寄り添うような演技をしたのだと思えたので、制作陣はとても真摯だったと感じました。

・もう少しつづけて書くと

同時期に公開された「CLOSE」もまた同性への愛情の芽生えを主幹に添えた物語で、ただこちらは事前の粗筋からも、その主幹が序盤に明らかにされて進行する話だとわかっていました。

対して、この「怪物」はクィア要素は物語終盤で輪郭がくっきりします。だから事前までこの点を伏せがちだったのは、構造上ままあることかとも感じました。あくまで自分はです。

ただ、劇場で何度か目にした予告編で、どのバージョンでもこの要素は微塵も感じさせなかったことから、カンヌで「クィア・パルム賞」を獲得してなかったら、宣伝ではもっと伏せつづけていたんだろうな、という風には想像します。

・彼らがたどり着いた草原はあしたの世界なのか

それはもうわからない話で、その余白に色々と想いを巡らせる、それこそが醍醐味でしょう。

真実といわれるものは人の数だけ無数にあり、「かわいそう」とある人が指差すものが他者には「幸せのかたまり」である可能性だってある。そうわからされた物語だったから、誰が見ても「生きている」または「死んでいる」という画面での答えの無意味さも、想像はできます。

だから、あの光景は友人二人が、あるいはもっと絆を深めた二人が、憂いも悩みも吹き飛ばして無邪気に走り回っている喜びをそのまま感じ取ればいい、と私は思うことにしました。

なんて気持ちよさそうなんだろう、楽しそうなんだろう。
こんな良い時間がいつまでもつづけばいいね、と、ただ願いました。





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