お兄ちゃんが爆発した。

半年ぐらい前に書いた日記が出てきて、その内容を読んでみたら、自分で言うのもなんなんですが、この内容は共有したい!と思い、言葉に少し修正を加えて書き直しました。途中途中、“今になって思うこと” をこの太字で入れています。

お兄ちゃんが爆発した。
お兄ちゃんは課題の一環として動画を見ようとしていた。それはお兄ちゃんの不得意な日本語の内容で、普通より集中力を要するものだった。お兄ちゃんは自室はWiFiの回線が弱いと言って、パソコンを持って居間で勉強していた。私は少し離れたダイニングテーブルの上で課題をやっていた。お兄ちゃんは、パソコンに繋がるイヤホンを持っていなかったので、生で音を出して聞こうとしていた。
その時、ママは母国の友達と久しぶりに電話していて、すごくはしゃいでた。つまり、すごくうるさかったのだ。
イライラしてると物に当たる癖のあるお兄ちゃんは大袈裟に舌打ちしたり、ソファを叩いたりしていた。
私は最初、ママに「静かにして」って言えなかった。
ママは毎日外に働きに出て(フィリピンの貧困村出身の母は大学に行けず、学歴がない、日本語が通じない、ということで肉体労働に近い労働仕事をしている)、帰ってきたら家事三昧。言葉が通じる日本の友達もいない。だから、ママのそんな楽しそうな電話を邪魔したくなかった。ママもお兄ちゃんの様子に気づいていたけど、最初は構わず喋り続けていた。ここで、親なのに何やってんだ?って思う人はいると思います。私も少し前まではそう思っていました、親だから子ども優先してよ!と。けど、今は違います。毎日、体がボロボロになるまで働いて、言葉通じないことで肩身の狭い思いをしている。だけど、家族のために、弱音を吐かない。そんな母の唯一の息抜きが、母国の親戚や友達を電話することなんです。その息抜きが出来なくなったら、ママも潰れちゃうかもしれない。何でもかんでも私たちのために我慢しなくていいのに、たまには自分勝手なこともしていいのに、って今になって強く思います笑
でも、お兄ちゃんのイライラが高まっているのを見て、ママは電話を切った。だけど時既に遅し、お兄ちゃんは落ち着きをなくしていた。
そのタイミングでパパが帰ってきて、「おい、何そんなイライラしてんだよ」ってお兄ちゃんにいつものぶっきらぼうな口調で話しかけた。そしたらお兄ちゃんが爆発した。急に「なんで静かにしねえんだよ」的なことをいろいろヒステリックになって叫び始めた。そしたらパパも「お前何ヒステリックになってんだよ」って怒り始めた。それでお兄ちゃんは部屋に閉じこもった。部屋にいる間、物を投げているのが音でわかった。


パパは怒った後、夜ご飯を食べながら「あいつ小さい頃からなんも変わんねぇな…」って言った。この『我慢して、それが溜まって、爆発する。』という気質はお兄ちゃんが小さい頃から続いてるものだ。

「俺がスポーツやらせて、嫌がってんのに無理させて、それでああいう我慢ばっかしちゃって、それが溜まりに溜まって爆発しちゃう性格になっちまったんだよな」とパパは言った。

実際、プロ選手目指していた程のスポーツ好きだったパパは、一人息子にも!と、お兄ちゃんをたくさんのスポーツクラブに通わせていた。「行きたくない」って泣き喚いているお兄ちゃんを「男だから泣くな!」って叱っていたことはしばしばあった。私は当時5歳ぐらいだったけど、その時のことは今でもよく覚えている。

パパがそれは自分の小さい頃の育て方が原因だって思っていて、ずっとそれを後悔していることを、私は知っている。確かに、育て方は悪かったかもしれない。けど、私はこんなパパのこと誇らしく思う。だって、頑固な大人って本当に多いんだもん!そんな中で、自分の育て方を悪かったって認めて、それを変えるパパのこと、私は尊敬します。私にこんな偉そうなことを言う資格はないけど笑

その後、パパは怒りが完全に落ち着いて、「ヒステリックになんのもママそっくりだなぁ」って愛おしそうに言い始めた。実際本当にそうで、うちのママは1回爆発すると、長い間止まない。それでも大人か?って思うほどずっと引きずってる。「なんでそれでもママのこと好きでいられるの?」って思う。私は絶対そんな人いやだ。
この1ヶ月ぐらい後かな、私はママと大げんかした。その時、ママはヒステリックになって、話を聞いてくれないし、ずっと冷たい態度だった。私がそれについて愚痴を1人で言っていたら、パパが次のように言った。

「ヒステリックになるのって純粋で真っ直ぐな人なんだよ。」

一番最初に口から出たのは「え?」だった。そしたらパパが

「だって、『なんでこんなにあなたのこと心配してるのに』とか『なんでこんな私は頑張っているのに!』という気持ちが強いから、誰かがその気持ちに反したら、その気持ちが爆発してヒステリックになるじゃん。」

って言った。

これ聞いた時、すげぇ…って思ったのをよく覚えている。何その視点、、って。確かに、その通りかもしれない。自分の気持ちを素直にぶつけた結果がヒステリーなのだ、ヒステリックになってしまうほどの大きな気持ちってことなのだ。

「いやでも私がもっとこうすれば…」とすぐに自分を責めることが当たり前になっていて、「我慢すること」が美徳となっている日本社会に染まりきっていた私には、全く気付けなかった視点だった。もちろん、これには賛否両論あって、「やっぱり冷静になることが大事だ」と考える人もいると思う(正直私も結局はそう思う笑)。ただ、うちのパパはママのヒステリックな面も愛おしく感じて、惹かれたんだぁってすごい感じて、感動したのかわからないけど泣き始めたことをよく覚えている笑

この後、パパはお兄ちゃんのところに行って話してた。物に当たらないこと。「これは絶対」と。極力我慢しない、ヒステリックになっても、冷静さを保とうとする努力をすること。「無理だと思うけど」と笑っていた。

この後お兄ちゃんの部屋から笑い声したんだけどなんやねん、こっちは号泣してるっつーのに!(⇦これは実際に日記の文章の最後に殴り書きのような汚い字で書いてあったものです😂)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【読み返して思ったこと】

これを読み返して思ったことは、うちのお兄ちゃんは「犯罪者」になる可能性が大きかった、ということだ。本当にすごく暴力的で、小さい頃は私のこともよくボコボコにしていた(親や大人に暴力を振るうことは絶対なかったから、いわゆる弱者虐めみたいな?)。他の人と口論になったりした時、その暴力的な気質が働いて、相手に取り返しのつかない怪我を負わせる危険性は大きくあったのではないか、と今になって思う。けどその加害性は、お兄ちゃんと真正面に向き合ってきた親のおかげで、徐々に薄まっていった。(時には、親の判断でプロのカウンセラーに通わせたりもしていた)。私に暴力を振ることはなくなり、家の壁に穴を開けることもなくなり、どうしてもイライラして物を投げる時も、枕とか害のないものを投げるようになった。

誰にでも加害性は潜んでいる。犯罪を犯しながら生きることは楽だから。仕事しないで窃盗を繰り返す生活、薬物を使用し続けて悩みを忘れる生活、人を殺して「邪魔」を排除する生活、全部「楽」なのだ。だけど、落胆させたくない人、守りたい人ができたりしたら、犯罪に走りたい衝動も無くなるのではないか。「絆」の強さ、って書くとなんだか綺麗事のように聞こえるが、「人と向き合うこと」の力って本当測り知れないものだ、って深く感じた。

そして、最後に。

うちの家族はすっごい濃くて、問題が多くて、だいたいその問題は誰にも言えないようなこと(だからこの時も日記に書いたのかな笑)だから、辛くなることが多い。本当に、「もっと普通の家族に生まれたかった」って何回も何回も思った(これからも思うだろう笑)。だけど、やっぱりこの家族に生まれて良かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?