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善と悪「コロナ禍で私たち……入れ替わってる〜?」

正しい者が、間違った圧倒的多数にひたすらに攻撃された時代。それがコロナ禍だ。

「正しさなんて人それぞれで、どっちが正しいなんてないよ!」なんて綺麗事を言える次元ではない。街でポイ捨てする人間をどう思うか、平気で万引きする人間を簡単に許せるか。そんなレベルの話である。

まずもって「反ワクチン」なんて揶揄する人間が自分にはまったく理解ができない。自分の損得でしか物事を判断できない卑しい人間ばかりの現代において、反ワクチンと呼ばれる人たちは相当な「おひとよし」である。

ワクチンさえ打たなければ自分には何の関係もない話であり、どれだけ多くの人がワクチンで犠牲になろうと放っておけば済むことなのだ。自分にとって何ひとつ得なんてないのに、怒りに怒っているのである。

詳しいデータはここでは割愛するが、尋常ではない健康被害がこの国を覆っていることは間違いない。ワクチンを打ったことで亡くなった人、後遺症、謎の体調不良……その規模は「経済より命」なんて言葉がバカバカしくなるほどに膨大である。戦争や災害クラスの大薬害事件が起こっている。

2021年からの死亡者数は、コロナ死では
説明できないほど増加している。
(引用:藤江@元国会議員秘書YouTuber)

ところが、である。

今やそうした心配をする人間は「悪」であり、病気やワクチンや世界のデータを調べて心配する人間は「頭のおかしい人」。

国や医者やマスコミの話を鵜呑みにして何も考えないことが「正義」であり、自分以外の誰かのことなんて知ったことじゃない、無関心でいる人間こそが「まともな人」。

いつのまにかそんな時代になっていたのである。

子どもに対するマスクやワクチンの悪影響を懸念すれば、決まって「子どもをダシにして自分の主張を通そうとするな!」という反論が返ってきたが、それは「私は自分の損得勘定でしか動けないクズ人間です」と自己紹介しているようなものである。怒っている人たちは心から子どもたちを心配しているわけだが、根っからの利己主義に染まった彼らは「他人のために怒る」という感情を知らない。だからその憤りが理解できず、ニセモノに見えてしまうのである。恥ずかしいにも程がある。

そもそも「反ワクチン」などと批判したのなら、その人は永遠にワクチンを打ち続けるのが筋であろう。
時期がどうであれ、打つのをやめた時点で「反ワクチン」の仲間入りとなる。反ワクチンと呼ばれる人たちは、みんなが打つ前から「意味がない」「むしろヤバイ」ということを知っていただけの話だ。陽性者数や死亡者数は当時よりも圧倒的に多いはずなのに、今打たなくてもいいというのはおかしいだろう。

彼らは口を揃えて「弱毒化して怖くなくなったから」と言うが、「コロナは風邪」なんて言われていたように、そもそもずっと大した病気ではなかった。「デルタ株は怖くてオミクロン株は怖くない」なんて言われても、少なくとも自分の身の周りで「デルタ株の恐ろしさ」とやらを目の当たりにしたことは一度もない。国やマスコミに煽られて国民が勝手に怖がっていただけの話である。

コロナが怖くなくなった人たちは、今この状況において「今なお怖がってる人のためにワクチンを打て。どれだけひどい副反応が出たとしても、ワクチンを打つことが思いやりなんだ。さもなくば非国民だ。」なんて言われたら果たしてどう思うだろうか。「打ちたい人が勝手に打てばいいだろ。押し付けるなよ。」と言いたくなるのではないだろうか。

未接種者に対してやってきたのはそういうことなのだ。普通に考えれば当たり前の話なのに、そんなことすら想像ができない。完全に狂ってしまっている。

望まぬ者に対して強要する様は強姦魔であり、それで無数の犠牲者が出ているなら殺人犯である。大げさな比喩なんかではなく、心の底からそう思う。それを「正しい人間のやること」と信じて疑わないのだから手に負えない。もはや一億総犯罪者である。

あの頃みんな「看護師なら接種して当然だろう。続けたければ仕事を辞めろ」なんて当たり前のように話していた。
ワクチン接種が始まって間もない頃、接種を望まない看護師が数日後にワクチンで亡くなった、というニュースがあった。

明らかに「殺人」である。
殺したのはワクチンを推進した人間、そしてそれに賛同していた人間だ。

感染対策に否定的な態度を示せば、決まって「コロナで亡くなった人の前で言えるの?」なんて批判を浴びたが、問いかけたいのはこちらのほうである。コロナで亡くなった人は感染対策とやらでその死を防げたとは到底思えないが、ワクチンの犠牲者はワクチンを打たなければそれが原因で死ぬことはなかったのだ。「ワクチンを打たない奴は頭がおかしい」だなんて、それこそワクチンで亡くなった人の前で言えるのだろうか。

繰り返しになるが、今やこの国では殺人者が善人であり、この悲しい事件に怒りを覚える人間は悪人である。善と悪がすっかり入れ替わっている。

「君の名は。」では物語の終盤、彗星の落下で町が消滅する未来から救おうと主人公たちが奔走する。自分たちだけが助かればそれでいいはずなのに、気が触れたと思われてまで、犯罪に手を染めてまで、町のみんなを助けようと必死に動く。そのひたむきな姿に多くの人が涙を流したわけだが、現実はそんな素晴らしい世界ではなかった。同じようなことが起こればただの「イカれた人間の妄言」として扱われて終わりである。

「反ワクチン」だの「陰謀論者」だの言われる人たちの間で、現在起こっているような健康被害が大きくなることはとっくの昔に予見されていた。何も調べず、何も考えず、洗脳され続けた人間たちがただ耳を傾けなかっただけの話である。

彗星は、とっくに落ちてしまっている。

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