鈴木 優一

かつてはゲーム開発の人、今は教育業界の人。たまにイラストレーター。主な作品:PS2「ド…

鈴木 優一

かつてはゲーム開発の人、今は教育業界の人。たまにイラストレーター。主な作品:PS2「ドラゴンクエストV」&DS「ドラゴンクエストⅣ」「Ⅴ」「Ⅵ」(キャラクターCG&企画)/Wii「オプーナ」(キャラクターCG)/スマホアプリ「ドラゴンクエストライバルズ」(カードイラスト)など。

最近の記事

はじまりの冒険

    • BUMP OF CHICKEN のライブで日本の凋落を痛感した日。

      BUMP OF CHICKEN TOUR「ホームシック衛星2024」名古屋公演2日目に行ってきた…のだけれど。 魂を浄化するはずのバンプのライブでまさかこんな絶望的な思いをするとは思わなかった。 バンプは何も悪くない。 いつものように素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。 問題は警備スタッフだ。 ライブ中、アリーナ席の通路をずっと歩いて巡回しているのである。それが気になってライブにまったく集中できなかったのだ。 「あなたが敏感すぎるんだ」と思われるかもしれないが、

      • 消えてなくなれ、SNS。

        誰がどこに行った。 何を食べた。 テレビの実況。 ゲームの結果。 ニュースの感想。 誰が何をしようとどう感じようとどうでもいいだろう。 他人の心や生活を覗くことに、いったいどんな価値を見出しているのか。 ジャンクフードばかりで体がおかしくなるように、遠慮もなく吐き出された文字列が健全な魂を奪っていく。 「タイパ」だなんだと言いながら、忙しそうにやってることはただのゴミ漁り。 いや、漁ってすらいないね。 川に飛び込んで、ただ流されているだけだ。 芯まで腐りきったドブ川で

        • 善と悪「コロナ禍で私たち……入れ替わってる〜?」

          正しい者が、間違った圧倒的多数にひたすらに攻撃された時代。それがコロナ禍だ。 「正しさなんて人それぞれで、どっちが正しいなんてないよ!」なんて綺麗事を言える次元ではない。街でポイ捨てする人間をどう思うか、平気で万引きする人間を簡単に許せるか。そんなレベルの話である。 まずもって「反ワクチン」なんて揶揄する人間が自分にはまったく理解ができない。自分の損得でしか物事を判断できない卑しい人間ばかりの現代において、反ワクチンと呼ばれる人たちは相当な「おひとよし」である。 ワクチ

        はじまりの冒険

          世界はこんなにも美しい物語で溢れているのに。

          みんなたくさんの美しい物語に触れているはずなのに、なぜこの世界は醜さを増していくのだろう……ずっとそれが不思議だった。 涙を流し、憧れたはずの主人公たちの姿に近づきたいとは思わないのだろうか。目に映るのは、あのかっこいいヒーローとは正反対のケダモノばかりである。 “反対側”を考えてみれば、至極単純なことだった。 反対側とは、これまで腐るほど聞かされてきた「過激な描写が含まれた作品は悪影響を及ぼす!アニメやゲームは犯罪を助長する!」というアレだ。 暴力シーンのある作品を

          世界はこんなにも美しい物語で溢れているのに。

          「失敗を認めろ」と言うのなら。

          ロケットの打ち上げが「失敗」か「中止」か、なんて話でネットが盛り上がっている。どうやらうまく行かなかったことに対しては「失敗を失敗だと認めて検証すること」が必要らしい。 この3年間に思いを巡らす。 外出自粛。 マスク。 ソーシャルディスタンス。 アクリル板。 ビニールシート。 県をまたぐ移動の制限。 水際対策。 ワクチン。 時短命令。 黙食。 やらせるだけやらせて。 膨大な犠牲にも目を向けないで。 どんな意味があり何を得たのかさっぱりわからない感染対策を「失敗」と呼ぶこ

          「失敗を認めろ」と言うのなら。

          拝啓、コロナに騙された人たち。

          どれほど勉強して難しいことを語っていても、誰もがウットリするような美辞麗句を並べていても。 「でもあなた、コロナに騙されてましたよね?」 その一言ですべてが台無しになる。 コロナは人間の本性を映し出すラーの鏡。 映っていたのは、バカと悪魔と風見鶏だけだった。 おかしいことに「おかしい」と気付けないバカ。 「おかしい」とわかっててやっている悪魔。 長いものに巻かれていればそんなこと関係ない風見鶏。 この世界には人の姿をした怪物しかいない。 ただひたすらに、そんなことを

          拝啓、コロナに騙された人たち。

          「推し」という予防線。

          「推し」という言葉が嫌いだ。 その言葉を使う人間にとって、「好き」や「ファン」は重いのだろう。 「その程度でホントに“好き”って言えるの?」 「“ファン”ならそれくらい当然でしょ?」 そうツッコミを入れられるのを恐れている。 詳しくなくていい、いつ離れてもいい。 誰かと争いたくもない。 予防線を張り巡らせた“愛情らしきもの”を声高に叫べる……そんな人の語る愛を、どこまで信じられるというのだろう。

          「推し」という予防線。

          「陰謀論」を安易に否定する人間に思うこと。

          「陰謀論」という言葉を聞く機会が増えた。 「偏見や不十分な証拠に基づいて陰謀の存在を訴えている」ということで、得てして嘲笑の対象となる言葉である。 しかし、コロナ禍を通じて感じたのは「確固たる証拠がなければ何も言えない」という危険性だ。 物語や絵画、音楽……さまざまな作品に触れるたび、作り手の意図に想いを巡らす。 「この場面ではこんなことが言いたいのだろう」 「この表現はあの作品のオマージュだろう」 ……感情や知識、経験値をフルに使い、今見えるものから「それ以上」を汲み

          「陰謀論」を安易に否定する人間に思うこと。

          超サイヤ人の金髪は「黒の塗りが面倒だから」じゃない。

          「ドラゴンボール」で超サイヤ人の髪色が金色になった理由について、鳥山明先生曰く「髪を黒で塗る手間が省けるから」ということで、それが真実だということになっている。 しかし、これは鳥山先生の「照れ隠し」である。全部がウソとまでは言わないまでも、話半分で聞いておくのが正しいと考える。 デザイナー出身の鳥山先生は「わかりやすさ」を重んじる作家である。黒髪から金髪(漫画の誌面では白)になるのは「いつもと違う姿になったことをひと目で認識させるため」に他ならない。 ■ドラゴンボールに

          超サイヤ人の金髪は「黒の塗りが面倒だから」じゃない。

          理系と文系、それぞれが求めるシンリ。

          「言い切る人間は頭が悪い」と言われる。 いくらでもある他の可能性を、断言することによってすべて無にしてしまうのは愚かな行為であると。ひとつでも反例が見つかれば「偽」とされる数学の世界ではあり得ない言葉選びなのだろう。 現代は、数字と理屈が社会を支配している。 コロナ禍を通じて感じたのは、そうした理系思考の「歯切れの悪さ」である。 何かを主張したとき、必ずと言っていいほど「そうでない人もいる」と反論する人が出てくる。 「〇〇ってこういうものだよね」なんて言えば決まって「主

          理系と文系、それぞれが求めるシンリ。

          「WITHバカ」という世界線。

          回転寿司をはじめとして、見るに耐えない動画が次々と流れてくる。 スマホでみんなが繋がったことで、今まで見えなかった「底辺の世界」にも接続されてしまったのだと思う。 10年ほど前、低学歴の世界を生きる女の子のブログを読んで「そういうものなのか」と驚いたことがある。コンビニのアイスケースに入った写真が騒ぎになった頃の話だね。 同じ世界に生きていても、違う世界に住んでいた。 普通に暮らしていたら何となくしか見えなかった人たちが、数字にすれば同じ「1」として確かに目の前に存在し

          「WITHバカ」という世界線。

          さよなら、青い鳥。

          長らく使っていたツイッターをやめた。 イーロン・マスクがどうだこうだと騒ぎになるほんの少し前から一切ツイートはしていないので、別に「トップが変わって仕様が変わったから」というわけじゃない。 あのフィールドにまったくと言っていいほど希望を抱けなくなってしまったのだ。 ツイッターは「感情の下水道」。次から次へと汚らわしい自分勝手が流れてくる。 「今日はどこへ行った」「何を食べた」「ゲームの結果がどう」「RTでコンビニのクーポンが当たる」「テレビを見ながら感想を実況」…

          さよなら、青い鳥。