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あずま屋(33)

 季節は冬になろうとしていた。お葬式とは別の佐竹さんと青山さんのお別れ会が終わった。会では、京子さんと子供さんたちが痛々しかった。京子さんは見るからにしっかりしていそうなきびきびした感じの人で、気丈に振る舞っていたが、ひどくやつれていた。佐竹さんが撃たれる瞬間の映像が頭にこびりついて離れなかった。どうしようもなく悲しかった。最後の夜、彼と交わした会話を思い出した。あの時、ポルポルに行ったボランティア仲間はみんな来ていて、皆が悲しみに包まれて、泣いていた。お別れの会の後は、みんな散り散りに帰っていった。奈津とも別行動で、杉並の善福寺川に向かった。永福で駅を降りると、大宮八幡宮を探して、川に出た。彼の言ったとおりの川べりを歩きながら、あずま屋と公園を探した。確かに、そこにはあずま屋と公園があった。
 多くの人に必要とされている、佐竹さんや青山さんのような人たちが命を失い、なぜ私のような無力で無益な人間が生きているのだろう。彼を必要としている人はあんなにたくさんいるのに・・・。ポルポルの人たちや子供たちの顔も浮かんだ。あずま屋のベンチに座り、ひとり涙を流した。突然携帯電話が震え始めた。反射的に電話に出た。「もしもし・・・」「マヤ?俺、佐山秀」「・・・」「思い出したんだ。突然で驚くと思うけど、思い出したんだ」そう電話の奥で秀が言った。「もしもし、聞こえる?マヤ!」彼は思い出したんだと何度も繰り返して言った。私は、ぼうぜんとしたまま、あずま屋の向こう側を流れる川を見つめながら、とめどなくあふれる涙をとめることもできず、秀の声をただただ聞いていた。

あずま屋(33)

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