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向き合って(41)

 こうして喫茶店で向かい合って、じっと見つめられると、はにかんでしまい。先に視線をそらした。その見つめ合った時間が何分にも感じた。しかし、カナコにはまだ、思い出したことを話していないとのことなので、この先のことが心配でもあった。何かすがるものが欲しくて、秀が記憶をなくした頃買った、神社のお守りと、ハンカチを取り出して一緒に握った。きょうはスカートが赤いタータンチェックで、ハンカチも同じようにタータンチェックの赤いハンカチを持ってきた、秀と会うと思うとハンカチ1つにも気を使ってしまうのだった。「俺は今でもあの海で一緒に過ごした時間が一番大事なんだ」と秀は真っすぐ目を見てかみしめるように言った。マヤは「カナコさんのことはどうするの?気持ちはうれしいけど、この1年半ずっと彼女とお付き合いしてる状態になってたんだよね」と言うと、秀は「あの日のこと思い出せないでいたし、最初は香奈子のことも思い出せなかったから。昔の記憶から先に蘇ってきたんだ。本当に全然思い出せなくて」と悲しそうにつぶやくように言った。「近いうちに香奈子にまた、全部話すよ」とも言ってくれたけど、実は香奈子とは家が近所で親同士が仲が良く、その幼馴染的なつながりがいつしか付き合いに変わったとのことだった。香奈子のことは自分は意識していなかったけど、香奈子のほうはずっと自分が好きだったみたいで、断る理由もないから、何となくお付き合いする空気というか、勧められたという縁らしかった。
 自分が知らない秀と彼女の長い時間を思うと、気持ちがえぐられるような気がした。こんなふうに思うことは今までなかったことだ。自分の中に湧き上がる嫉妬心なのだろうか、苦しかった。「わたしとお付き合いするならカナコさんとは、もう一度ちゃんと話し合ってお別れして。そうじゃないと付き合えない」そう頭で考えるより先に言葉がこぼれた。マヤは自分が発した言葉の強さに自分でびっくりした。甘い空気じゃなくて、何だか自分で作り出した緊張感を打ち消したかった。頼んでいた、フルーツタルトとアールグレイティーに手を伸ばした。秀もホットコーヒーとガトーショコラに手を付けた。そして、「なるべく早く香奈子には伝える」と覚悟したような感じで言った。

向き合って(41)

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