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旅立った人(34)

 まだ、佐竹さん青山さんの合同お別れ会が終わったばかりで、深い悲しみに包まれていた。そこへ秀からの連絡であずま屋のベンチに座ったまましばらく言葉が出なかった。しばらくして、「秀、ちゃんと聞こえているよ」と声を絞り出した。「きょう亡くなった知人のお別れ会があって今はちょっと話せる状態じゃないかも」と言うと、秀は、「俺ははっきりと思い出したから、会って話したい、だけどマヤには突然過ぎる話で驚くよな。あれから1年以上経っているし。日を変えて会えないかな」と秀は畳みかけてきた。「わかった、今は少しの間だけそっとしておいてもらえるかな。ごめんね。落ち着いたら連絡する」「わかった。待っているからな」と短い会話で電話を終えた。
それから、30分ぐらいはあずま屋のベンチに座ったまま、いろいろな思いで時々、泣きながらもの思いにふけっていた。ふたりのシュウ、佐竹さんと秀、最初失ったと思っていた秀が戻ってきて、佐竹さんは多くの人に慕われながら、家族を残してこの世を去っていった。さぞ、無念だっただろうと思う。志半ばで永遠に旅立ってしまったのだ。世の中の不条理を思った。平和な日本にいると、あの難民キャンプは遥か遠いところのように思えるが、あの場所を現実として生きている人たちも大勢いたのだ。自分には何かできることはないだろうかとの思いが湧き上がった。医師を目指すのはさすがに無理だろうが、看護大学に編入学して、青山さんのような看護師を目指すことならできるかもしれないと思った。
 寒くてコートを着ていても体は冷え切っていた。とりあえず家に戻ろう、そうして、お父さんやお母さんに相談してみよう。元来た道を引き返し井の頭線で渋谷まで戻り、いつもの電車に乗った。きょうは土曜日なので、家には珍しく両親ふたりとも揃っていた。お母さんが、「ちゃんとお別れすることはできた」と尋ねてきた。お父さんも「大丈夫か?」と聞いてきた。わたしは「まだ、心の整理はついていないけど、ちゃんとお別れはしてきた」と返して、父と母に急なんだけど、といって看護大学への編入を相談してみた。

旅立った人(34)

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