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葡萄の季節

大好きな仕事の季節がやってきました。

お店を営んでいるなかで、好きな瞬間というのはいくつかあって。

豆花を匙で薄くすくうのはお布団にすべりこんでゆくみたいな気持ちよさだし
いい炊き加減になった小豆がお玉から落ちてゆく音もころころと優しくて好き

そして、この季節だけのお楽しみが巨峰のシロップ漬けの仕込み。

たっぷりお湯を沸かしたところに巨峰をぽちゃんぽちゃんと入れて。しばらく見ていると、てっぺんからぷりっとはじけて果肉が顔を出します。この様子がとにかく可愛い…!

こういうクラゲ、山形の水族館にいたなあ、なんて見つめているうちに茹だってしまうので、ほどほどで氷水に移してゆきます。

ここから皮剥き。これも気持ちいい!
すでに皮がはじけている子はもちろんだけど、見た目はそのままの子もてっぺんをちゅんとつまんであげると、果肉をひっぱらずに皮だけがぺろりと剥けてゆきます。

どんどん剥いて、縦半分に包丁を入れて、種をつんつんと落として、あらかじめ作っておいたシロップに浸けたらおしまい。

毎年、種までとってあって手間がかかってますね、とお客様が声をかけてくださいます。たしかに、種をとるのは結構手間だし、時間もかかるけれど、種無し巨峰よりも種あり巨峰の方が葡萄らしい味がしっかりするから、あえて種ありを使うようにしています。
でも、八百屋さんが言うには、種あり巨峰は作る農家さんが少なくなって入荷が不安定なんだそう。種無しのほうがよく売れるから、そちらにシフトしていく、という話も聞きました。
だから、農家さんに、来年も再来年もまた種ありを作ろうって思ってもらえるように、できるだけ種ありを買いたいなあ、というのも種ありを使う理由のひとつです。

昨日読んだ小川糸さんのベルリン暮らしを綴ったエッセイ。ショコラーデン(チョコ屋さん)のお話があるのですが、そこのケーキがとてもおいしい、素朴で、味の基礎がちゃんとしていて毎日でも食べたくなる、おいしすぎないのがいい、と書かれていました。わたしがなかでも膝を打ったのは最後の「おいしすぎないのがいい」というところ。

糖度がとっても高くってまるごとぱくりと食べられる品種の葡萄って美味しいのだけど、まさに「おいしすぎる」。お値段的に頻繁には
手が出ないというのもあるけれど、本当に甘くてリッチな味わいで、わたしはすこーし
食べるとそれだけで満足でした。
そんな、たまの贅沢、「おいしすぎる」も人生にはとっても大切。


でも、巨峰とかデラウェアとか。甘いだけじゃなくて、酸っぱさと皮のちょっとの渋さと種のごろごろと、さらにそれらを取り除く手間と、全部ひっくるめた「葡萄を食べること」がわたしは好きだし、幼い頃から何度も繰り返してきたこの時間が愛おしいなと思います。


いろいろなところで耳にする「おいしすぎる」や「かわいすぎる」はもちろん褒め言葉として紡がれているのだけど、私たちのお店が目指すところはそれではないかもね、と和さんと話しました。
刺激的ではないけれど、心にもからだにもなめらかに溶け込む、幾度も重ねてゆける適度な「おいしい」。それが私たちの理想だね、と。
そういうのを食べたい、と感じたときに思い出してもらえるお店であれたらいいな、と思います。

とは言え、「おいしすぎる」にも「おいしい」にも、つくる人たちのそれぞれの思いが詰まっているはずだから。どっちも楽しめる人生って豊かだと思います。

巨峰の豆花、食べにいらしてくださいね。



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