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平和を再考する〜私個人の平和学習を振り返る〜


こんにちは、こんばんは。
イラストレーターのミトシです。

今日は終戦の日ですね。
毎年この時期に
戦争の回顧番組をやっていて、
なんだかこころにシーンとした
感覚が染み渡ります。

今日はイラストから離れて、
平和学習のことを思い出します。


ミトシは平成元年生まれです。
ゆとり世代ですね。

戦争はずっと遠い世界の問題で、
日本は平和だから
スクスクと育ちました。

普通の家庭で、
愛されて育った記憶があります。


しかし、私はちょっと周りと違う、
浮いた平和学習への
向き合いかたをする子でした。

平和学習というと大抵の場合子どもは、
退屈に思いながら
「平和って大事だなって思いました」
程度の感想を
書いて終わります。

だって遠い問題なんだもの。

私は少し変な子なのか、
広島・長崎の平和学習で
とてつもない衝撃を受けました。

戦争体験の本を何冊か読み、
原爆写真集も図書館から借りて、
「怖い!」と言いつつ
全ページ目を逸らさず見ました。

そこに浮ついた思いはなく、
「こんなに苦しい経験をした人々がいる」
という事実を、
幼いながら真剣に
受け止めようとしていたのです。


当然、子どもたちの中では、
平和学習に恐怖を覚えて
考えないようにするという子も
いるくらいです。

親には「変わった子だねぇ」
と言われながら、
小5、6の頃2年間夏休みは
原爆資料集を図書館から借り帰り、
2週間何度も読み返します。

どうしても辛くなって、
涙を流しながら
読んだページもあります。


高校。定時制の工業科でした。

定時制は一般的に4年制なので、
4年生で沖縄に修学旅行に行きました。

クラスのみんなが、
ひめゆりの塔で
機嫌悪くさっさと帰ろうとしますが、
私は呆然と石碑を眺めて、
思い出します。

小学生の頃の、
自由研究にするわけでもなく、
でも真面目に取り組んでいた
平和学習を、です。

みんなが
「早く帰ろうよ」と言うので、
一度石碑に手を合わせ、
深くお辞儀をします。

「知ってるひとでもいるの?」
と聞かれました。

「え? 別にいないよ」
答えて唖然とします。

質問してきた子は
変なものを見る目で、
私を見て、
ため息混じりに先に行きました。


ああ、これが普通の
『私の世代の反応』なのか、
とやっと気づきました。


私、変な子だったのか、と。


でも、東日本大震災を経験して、
大人になって、
幾つも世界の戦争のニュースを見て。

いまは、
「私みたいな変な子も、
いなきゃいけないんだ」
と思います。


いまも私たちとは遠いところで、
戦禍に喘ぐ子どもたちがいます。

餓死寸前で、
家が燃えるのを見る子もいるのです。

それは、果たして
「考えなくていいことなのか?」
私は毎年悩みます。

語り部となるご高齢の方々が
亡くなっていきます。

別に私が語り部に
なることはないと思います。

ボランティアとかも、
興味は現在ないです。

でも、ひとりの意思として、
戦争を忘れない人間は、
必要だから。

小さく学び続けて、
生きることが、
平和を生むかもしれないですから。


自分のおじいちゃんおばあちゃんが
元気なうちに、
もっと話を聞けばよかったな。




そんなに内容もないですが、
これで終わろうと思います。

この時期は、
真剣だった自分を思い出し、
おじいちゃんおばあちゃんの優しさを
回顧してしまう、
というお話でした。

ご精読ありがとうございましたm(_ _)m

またお会いしましょうね。
イラストレーターのミトシでした(*^^*)


サポート誠にありがとうございます。 これからもよろしくお願いいたします。