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「那珂川ヒストリー」(水戸市立博物館:特別展)〜水と共に生きた人々〜

いつも当たり前のようにそばにいてくれるのに、その存在を意識していなかったってことありますよね。
目の前を流れている「那珂川」は、そんな存在でした。

今回の特別展のテーマが「那珂川」ということで、毎日のように見ている「那珂川」、そういえば「那珂川」のことよく知らないなと気付かされました。

令和5年2月4日からスタートした特別展。
私は学芸員の解説(ギャラリートーク)のある2月5日に訪れました。

【展示のポイント】

①生業;那珂川がもたらす恵み

那珂川では鮎、鮭が獲れました。
那珂川独特の杭や網で川幅を塞ぎ、遡上してくる鮭を捕える「留漁」という漁法が行われていました。江戸時代は竹を隙間なく並べる「竹留漁」、明治期になってからは網を使用した「網留漁」が行われていました。
那珂川で獲れた鮭は、水戸藩に献上されたり、江戸にも送られていたそうです。(塩漬けせずに生のまま江戸まで送ることができました。)
明治9年から鮭の養殖が行われ、日本で鮭の人工孵化事業は、この那珂川から始まりました。

②流通;流通のための"みち"としての那珂川

那珂川では上流の黒羽藩付近から下流の那珂湊までの間で物流が行われました。
しかし、一つの船で運ぶことはできず、上流は小型船で運び、途中で大型船に積み替えて運んでいたそうです。
また、水戸藩は藩主がほとんど江戸にいたため、水戸から江戸へ物資を運ぶ必要がありました。
鹿島灘の航路は海流がぶつかるところで、波が高く、海難事故も多かったため、涸沼川から霞ヶ浦・北浦を経て、江戸へ運ぶ「内川廻し」というルートを使っていましたが、涸沼から霞ヶ浦・北浦間は水路でつながっていなかったため、途中陸路で物資を運ぶことという難点がありました。そのため、涸沼から霞ヶ浦・北浦へつながる水路を作る計画が何度も立案されましたが、実現されませんでした。
今回の特別展の目玉として、那珂川から江戸につながる水路を描いた最古の「常陸名所図屏風」が展示されています。この屏風は、奥州市で保管されているもので、茨城県内での展示は2回目になるそうです。実物を見る機会はあまりないようです。

③災害

令和元年の東日本台風
水害で家の歴史として昔から保管されていた資料が濡れてしまうと、そのまま捨てられてしまうことがあったようです。令和元年の東日本台風による水害のでは、このようなことが起こらないように、現地調査を行い、水害で被害を受けた歴史的資料の救済・保全(文化財レスキュー)の活動を行いました。その際に保全された貴重な資料が今回展示されています。

今回の特別展で、「那珂川」が水戸やその周辺地域の人々や、その生活などに大きく影響を与えていたことがわかりました。また、"恵み"と"災い"という相反する二面性も持っているんですね。

令和5年3月12日(日)まで水戸市立博物館で開催されています。
水戸にお住まいの方はもちろんのこと、那珂川のことをもっと知りたいという方、是非訪れてみてはいかがでしょうか。

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