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思い出話

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子供の頃の思い出話を中心に書いています。週1ペースくらいでのんびりと続けています。
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【秋のちょっと怖い話】ドアをドンドン叩く人

私は小学生の頃、鍵っ子で学童保育に通っていて、学童保育が終わった後の夕方、週1回だけピアノ教室に通っていた。 ピアノの教室は自分の家からすぐ近くで、目と鼻の先といった距離にあった。 ピアノ教室に着くと前の子のレッスンが終わっていないことがたまにあったので、ピアノの先生の子供が所有していた漫画を読ませてもらって、前の子のレッスンが終わるまで待っていた思い出などがある。(ちなみに漫画は名探偵コナンだった) あるピアノ教室へ行く日、学童保育から帰ってピアノレッスン用のカバンに持

大きな石とおじいちゃんと私

子供の頃はよくいろんなことを空想したり、ありもしないことや、現実的ではないことをよく考えたりして過ごすのが好きだった。 その現実的ではないことを実行しようとして母方のおじいちゃんに慌てて止められたことがある。 あれは私がまだ2、3歳の頃だと思う。ぼんやりとした記憶だがなんとなく覚えている。 2、3歳頃だから、まだ私が母方の祖父母に預けられていた頃の話だ。 夕方になるといつものようにおじいちゃんは私を連れ出して近所の公園まで連れて行っていた。(おじいちゃんはそれを口実に近所の

「もう嫌っ!こんな生活…っ!」と子供の頃言った話

以前、小学生の頃は夏休みとなると、恒例行事のように何かしら病気になっていたと書いた。 今回もそんな私の夏休みの思い出について書こうと思う。 小学校2年生頃の夏休みだっただろうか。 私は当時学童保育に通っていた。その学童保育で夏休みに遠足へ行く行事がり、千葉の公園のようなどこかへ行った記憶がある。 遠足当日は楽しく遊んだり、お弁当を食べたりして過ごしたと思うが、あまりよく覚えていない。 ただ、じゃぶじゃぶ池のような場所で友達数人と寝転がって遊んでいる写真が実家に残っている

おじいちゃんとうなぎとエビフライ

母方の祖父母は私にとって他の話でも書いたように、親のような存在だった。 今回は、私が大学生の時に亡くなってしまった父方の祖父の話を書こうと思う。 父方の祖父母は浜松に住んでいた。祖父母の家には一緒に叔父夫婦と少し年上の兄妹のいとこ二人が暮らしていた。 浜松には子供の頃あまり行けなかったが、夏休みに行けば、いとこ達が遊んでくれていた。 私からみた父方のおじいちゃんは几帳面で律儀な人だった。 飲みかけのお茶には埃が入らないようにハンカチで蓋をしたり、入った後のお風呂がとても

焼き鮭とお父さんの手作り晩ご飯

以前、子供の頃の毎週土曜日の父とのお昼ご飯の思い出を書いた。 今回は料理をしなかった父が料理を一時期にするようになった話について書こうと思う。 私が小学校2年生くらいの頃、父が転職するために3ヶ月程家にいた時期があった。その時期、仕事で帰りが遅い母に代わって、父が家族の夕ご飯を作ってくれていた。 父が料理をするということ自体が珍しくて、父がキッチンでどのように何をしているのか子供ながらに興味があった。 本当はキッチンを覗いていたいけど、じっと見ているのはなんだか気まずい

雨の日の悲しさと優しさとおばあちゃん

梅雨ではないのに、今年は雨の日が多いので、昔の雨の日の記憶を思い出してしまった。 小学生の頃、私はどちらかというといじめられっ子だった。嫌なことを言われたり、されたりすると、決まって母方のおばあちゃんに話を聞いてもらっていた。 鍵っ子だった私のために、おばあちゃんは住んでいる山梨から、頻繁に東京の私の家に泊まりで来てくれていた。 だから、嫌なことがあればおばあちゃんにすぐ言うことができた。東京に来ていない時はよくおばあちゃんに電話していた。 そうやって嫌なことをおばあち

恒例、もやもや夏休み

小学生時代の夏休みの思い出はどんなものだっただろう。 虫取りや自由研究、親の田舎への帰省など数々あるが、私の小学生時代の夏休み恒例の思い出といえば、夏休みになると必ず何かしらの病気になっていたことが1番に思い出される。 だから、子供の頃は、夏休みが始まる前になると「夏休みは楽しみだけど、今年も何か病気するのかな。いつも夏休みの半分はいつも病気になってしまうけど、今年は何事もなく、夏休み全部を楽しめたらいいな。」というもやもやした気持ちでいた。 それともう一つ、小学生時代の

「お茶はいいから。」の話

母と話をしていた時、母が母方の祖母から聞いた、まだ2、3歳くらいの私の話が出てきた。私は覚えていないが、今回は聞いた話を頼りに、その話を書きたいと思う。 私は3歳まで実家のある東京ではなく、山梨の母方の祖父母の家に預けられていた。 2、3歳くらいの私はおばあちゃんと手を繋いでよく家の周りを散歩していた。 散歩の際、隣の家の山下さん(仮名)の家の前をいつも通るのだが、山下さんの奥さんがよく家の庭に出ていたため顔を合わせることが多かった。 そして、いつもそのような時はおばあ

【真夏の怖い話】初めての引越しと不気味な出来事

お盆ももう終わりだ。そんな中、不気味な出来事があったことを思い出したので書こうと思う。 私が高校生の時、山梨にいる母方の祖父の体調が悪くなった。そこで祖父母は交通の事情などを踏まえ、治療のために私の実家ある東京に引っ越してくることになった。 私の実家はマンションにあった。祖父母が引っ越してきた家は実家と同じ階で、しかもそれは一軒置いて隣だったので本当に目と鼻の先だった。 大好きなおじいちゃん、おばあちゃんがすぐ近くに引っ越してくるということで、私は自分の部屋を祖父母の家に

お父さんと土曜日のお楽しみランチ

外食に行く機会が少なくなってしまった最近、久しぶりにファーストフードを食べて思い出したことがある。 子供の頃のご馳走は大人の自分が想像するような外食のフレンチや和食などではなかった。家庭で食べる母のカレーやハンバーグ、唐揚げなどがご馳走だった。もちろんそれらは今も大好きだ。 でももっと特別感を感じられるご馳走が子供の頃の私にはあった。それはカップラーメンやファーストフードだ。 私が保育園から小学校、中学校の頃、両親は共働きだった。その間、土日以外お昼ご飯は毎日給食だった

【真夏のちょっと怖い話】真夜中に聞こえる声

今回は、お盆も近くなった真夏の時期ということで子供の頃にあった、ちょっとだけ怖かった話をしようと思う。 子供の頃、夏休みのお盆と冬休みの年末の時期になると、必ず私は母方の祖父母の家のある山梨に両親と一緒に1週間ほど遊びに行っていた。 そのイベントは子供の私にとっては、ずっと大好きな祖父母と一緒にいることができることから、それは心待ちにしているものだった。 性格には何年生だったか覚えていないのだが、私が小学生のある夏休みのことだった。 いつもの夏のようにお盆に祖父母の家のあ

えみちゃんとお留守番と真っ白晩ご飯

一人暮らしをするようになり「子供の頃留守番していた時は一人で家にいても、家族の帰りを待っていたけど、一人暮らしは一人きりで、それはないよなあ。」とぼんやり考えながら思い出したことがある。 それは、私は小学生の頃鍵っ子で、毎日両親が帰ってくるまで、保育園の頃からの幼馴染みのえみちゃん(仮名)と留守番していたということだ。 私は小学生の頃、両親が共働きの鍵っ子だったので、学校が終わるとまず、学童保育に行き、午後5時(くらいだったと思う)に帰路に着く。それから家についても母親が

おじいちゃんの孫との散歩が夕方じゃなきゃダメなワケ

前回の記事では、一昨年亡くなった母方の祖母について書いた。 母方の祖母はそこで書いたように、私にとっては育ての親のような存在だった。母方の祖父も右に同じだ。 祖父は私が高校生の時になくなってしまったが、今回はその祖父について書こうと思う。 私が3歳まで山梨の祖父母のもとに預けられている間、毎日夕方になるとおじいちゃんは孫の私を連れて散歩に出ていた"らしい"。 ”らしい”というのは、幼かったこともあって、私自身はしっかりと覚えていない。覚えているのはおじいちゃんと何とな

眠れない夜のおばあちゃん

眠れない夜にぐるぐると頭の中をいろんなことが駆け巡る。 だいたいは日中の出来事の失敗を思い出して悶絶していることが多い。 なぜか嫌なことの方が優先的に思い出される。 そして、ああでもないこうでもないと考えてるうちに眠れなくなる。 真夜中にたった一人でモヤモヤは増すばかりだ。 そんな時、ふと小学生の頃の自分とおばあちゃんのことを思い出した。 おばあちゃんは一昨年亡くなった母方の祖母だが、私にとっては育ての親のような人で、私は3歳までは母方の祖父母のところ、山梨で暮らしてい