幻惑の死と使途/森博嗣

天才マジシャン、死してなお奇跡を呼ぶ――
事件は、奇数章だけで描かれる。
「諸君が、一度でも私の名を呼べば、どんな密室からも抜け出してみせよう」いかなる状況からも奇跡の脱出を果たす天才奇術師・有里匠幻(ありさとしょうげん)が衆人環視のショーの最中に殺された。しかも遺体は、霊柩車から消失。これは匠幻最後の脱出か?幾重にも重なる謎に秘められた真実を犀川・西之園の理系師弟が解明する。

シリーズ6作目。Amazonを開いたところ2016年の11月に購入したと表示されていたので、4年ぶりの再読。ということは他のシリーズも4年ぶりの再読になるのかあ。そりゃうすぼんやりした記憶しかないわけだ。

6作目の「幻惑の死と使途」と7作目の「夏のレプリカ」は微妙にリンクしていて、幻惑~が奇数章のみ、夏のレプリカは偶数章のみで構成されている。章タイトルも幻惑~は「奇」から、夏の~は「偶」始まりで統一されている。このへん本当に森先生のワードセンスを感じて好き。

とはいえ、この構成はこの事件がほぼ同時期に起こっていることを表しているだけで(今作には次作でメインになる簑沢杜萌が少し出てくる)、交互に読むと楽しめる仕掛けとかがあるわけではない。素直に幻惑~→夏の~の順番で読むべし。

前置きが長くなってしまったが。

マジックとマジシャンがメインになる話なだけあって、不思議な出来事が次々と起こり飽きさせない話になっていた。大掛かりな脱出マジック中の殺人事件、その後の葬儀では有里匠幻の遺体が霊柩車から消失するなど、すごく派手な感じで面白かった。

これまでのシリーズでは犀川先生が謎解きをするのだが、今作では萌絵が最後に謎解きをする。でも最後においしいところを持っていくのは犀川先生で、萌絵の説明では微妙に腑に落ちないところが、犀川先生の解釈でストンと腑に落ちるのがすごく気持ちいい。終盤での犯人と犀川先生のやりとりもすごくグッとくる。

でも個人的にそのトリックはちょっとズルいとは思った。面白いから良いのだけど!

そしてこのシリーズは登場人物同士の会話が面白い(むしろこのシリーズの肝と言ってもいい)のだが、すごく印象的な会話があった。

「なんか、こういうの見てるとさ、一般の人たちがみんな評論家になっていくみたいで、どの情報を信じたら良いのか、どんどんわからなくなるよね」洋子は急に真面目な話をする。「このまま、日本中の人がホームページを開設したりなんかしたら、もう情報が多過ぎて、結局は役に立たなくなっちゃうんじゃないかしら
「たぶん、そうなるわ」萌絵は言う。「今みたいに一部の人がやっている間は価値があるけれど。だんだん、自分の日記とか、独り言みたいなことまで全部公開されて、みんながおしゃべり状態で、聴き手がいなくなっちゃうんだよね。価値のある情報より、おしゃべりさんの情報の方が優先されるんだから、しかたがないわ。でも、それはそれで、価値はないんだって初めから割り切れば、面白いんじゃないかしら。そんな気もする」
幻惑の死と使途 p351

これ1997年に書かれていて23年前の作品なのだけど、完全に今のSNS社会を予言しているようで読んでいてびっくりした。まだブログすら普及していない時代に、ツイッターみたいなサービスが生まれることまで予言しているのがすごい。でもってSNSに疲れる理由すら言い当てている。みんながお喋り状態だから膨大な情報に振り回されたり、おしゃべりさん、声がデカい人の真偽不明の情報の方がバズってしまったり……。

いや本当に森先生はすごい……。と同時に2020年に生きる犀川先生や萌絵が気になってしまった。このシリーズ死ぬほど喫煙描写が出てくるので、この頃はまだ喫煙に対してゆるゆるな時代だったんだなあと懐かしく思うので、今はものすごく肩身の狭い思いをしているんだろうなとか。

次の「夏のレプリカ」はシリーズの中でも結構異色の作品で、切ない雰囲気がとても好きなので読むのが楽しみ!

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