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生老病死のご近所物語

今日はあたたかだった。
一歳半の次男あっちゃんと庭で遊んでいると、お隣のおばあちゃんがやってきた。

以前別のnoteにも書いた90歳近いおばあちゃん、佐藤さん。
4歳長男の発音だとシャトーさん。

庭に来たシャトーさんに、あっちゃんは即座に抱きつく。
遠方の祖父母とは会えないこのご時世、シャトーさんがあっちゃんにとってのおばあちゃんだ。
シャトーさんも同じく、まだ一度も会えていないひ孫がいる。

「あぁ、あっちゃん今日も元気だねぇ。よしよし、かわいいねぇ。いい子だねぇ。」
愛情たっぷりに頭を撫でられたあっちゃんは満足して土いじりに戻る。


「あの、佐藤さん、だんなさんの具合、いかがですか?」
「あぁ、本人は全然痛くなくて元気なのよ、でも手術して入院するともう高齢だからねぇ、どうだかねぇ。」

だんなさんの胃に腫瘍が見つかり、手術することになったと先日聞いた。

いつもにこにこ庭仕事をしている優しいおじいさんに病気が忍び寄っているかと思うと、気持ちが塞いだ。
入院中シャトーさんがあの大きな家でひとりで暮らすのを想像しただけで寂しくなった。

それでもシャトーさんの話しぶりはサバサバしていた。
もういいお年だから覚悟が決まっているのかもしれない。

「あっちゃん、大きくなったらきっとハンサムになるわねぇ。おばあちゃん、天国から見守っているからね。元気で大きくなってよ」

シャトーさんの口から天国なんて言葉、初めて聞いた。

「そんな!まだまだずっと、元気でいらしてくださいよ、全然そんな……」
焦ってわたわたと意味にならないことを口走ってしまう。


「バイバイ」
あっちゃんは我関せずで、遠ざかる飛行機に手を振っている。

冬の澄んだ青空に白い飛行機。
眩しくて、でもいつまでも見つめていたかった。

飛行機が点になり見えなくなるまで、三人で眺めた。

***

「あ!そういえば!古田さんのとこ、赤ちゃん産まれたそうですよ!」
明るい話題を思い出して、シャトーさんに告げた。

我が家のもう一つのお隣さん、古田さん。60代のご夫婦二人で暮らしている。
先月までは白いテリア犬の「シルキー」もいた。15年一緒に暮らしていた。

古田さんの奥さんはほっそりとして上品で、ちょっとした世間話でも真摯に聞いてくれる優しい人。
最近まで一日おきに動物病院に通い、日に5回シルキーの散歩をさせていた。散歩といってもほとんど動かず、日向ぼっこのよう。
灰色がかった白い塊は鼻のあたりをもごもごさせながらじっと何かを眺めていた。
私はあまり犬が得意ではなく、どう接すればいいのか分からないままだった。

古田さんはいつも慈しみと悲しみの混ざった表情でシルキーを見つめていた。


「もうあまり長くないの。あと一週間くらいかもって」
古田さんからそう聞いた時、どう反応すればいいか困惑した。
低い垣根越しの会話で、古田さんは物干し竿にタオルをかけながら話した。

「私ね、この子を飼ったのが初めてだったの。でももう絶対犬は飼わない。こんなに悲しくなるなんて、知らなかった」

古田さんはそう言うと空になった洗濯カゴを抱え、俯いたまま、すっと家に入っていった。

我が家の寝室は古田さん宅に面している。
寝る前にシルキーのことを毎晩考えた。

数メートル先にもうすぐ命が終わりそうな小さな生き物がいる。
それを心を痛めて見守る人がいる。

私には何も出来ない。

***

それからほどなくしてシルキーは亡くなり、古田さんと外で会う機会は激減した。

シルキーのお散歩がなくなったこと、そして娘さんが里帰り出産で帰ってきたことが原因だ。

ペットロスを初孫が癒してくれるといいな、とシャトーさんと私はこっそり望んでいた。
予定日は12月末だったから、そろそろでは?大丈夫?何かあったとしたらなおさら聞けないし…

なんとなくそわそわ気にしていたら、昨日出掛けにばったり会い、無事元気な男の子が産まれたことを教えてもらった。

***

「まあ!生まれたの!女?男?そう、男の子だったの!そう、よかったわねぇ。」
シャトーさんに伝えたら、思った通りとっても喜んでくれた。

あれ、男の子だってことは前から知ってたと思うけど、今更?
まぁ生まれてみないと分からないこともあるか。

そこにあっちゃん登場。
両手にプラスチックの小さい植木鉢を持っている。空の植木鉢を勝手に漁って、土や葉っぱを入れたもの。それを私とシャトーさんに一つずつ持てと言う。

「あらぁ、あっちゃん、ありがとうね」
シャトーさんはためらいもせずどろんこの植木鉢を持ってくれた。

***

お散歩に行くシャトーさんを見送っていると、古田さんが洗濯を干しに出てきた。
「赤ちゃんいると洗濯物がいっぱいで大変ね」
と古田さんは疲れた顔で微笑む。

「お疲れ様です。
あ、さっき佐藤さんに会ったんで、赤ちゃん生まれたこと、伝えちゃいました。すごい喜んでらっしゃいましたよ。」

「あ……そうなんだ……」
急に古田さんの表情が曇ったので焦った。
勝手に伝えてしまって悪かったのかも。どうしよう。

でも、違った。


「昨日ね、佐藤さんにはもう直接伝えたんだけど……そっかぁ……」

***

古田さんのその言葉の後、どんな会話をしたのか覚えていない。


私が赤ちゃんのことを伝えた時、シャトーさんは既にそのことを知っていた。
私を思って知らないふりをしてくれた?
いや、完全に初めて知った態度だった。

秋からずっと、赤ちゃんが産まれるのを楽しみにしていたのに。

それを、忘れてしまったの……?


その事実の痛みがじわじわと身体中に染みわたってきている今も。

***

小学六年生の時、父方の祖母が肺気腫になった。あとひと月ぐらいだろうと言われ、時が経たないでほしいと願った。強く願った。
それなのに、ひと月半後の運動会が待ち遠しかった。
そんな自分が薄情で嫌だった。

今も、そうだ。

おじいさんの病気が心配で、おばあさんの記憶にショックを受けて、これ以上二人が変わらないでほしいと願ってしまう。時が経たないでほしい。
私の好きな穏やかで幸せそうなお二人のままでいてほしい。

でも、我が子の成長も願う。
早く大きくなって、
兄は弟に優しくなりますように、弟は何でも口に入れる癖がなくなりますように。


時間は平等に降り積もる。
終わりはそれぞれだけれど、誰の上にも平等に。


あっちゃんが大人になるまで、シャトーさんが生きてないって本当はわかっていた。認めたくなくて、考えないようにしていただけ。

ご近所に暮らすって、こういうことなのか。
それぞれの変化を、悲しみを、お互いわずかに知りつつも何ができるわけでもなく。


だからせめて新しく生まれた命に、祝福とささやかな贈り物を贈ろう。

***

今日三人で眺めた飛行機を、いつか懐かしく思い出すかもしれない。
天国から見守ってるって言ってたなぁって、嬉しく思い出す日が来るかもしれない。



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