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取りこぼすのではなく「今はまだ」遺せないだけなのかもしれない

「言葉はいつも、大切ななにかを取りこぼす」

いつもどこかで気にしていた言葉を、不意に人から発せられたある日。

それまでの私は、この言葉に対してネガティブなイメージを持っているというよりも、そういう場合もあるよねというような感覚を持っていた。


感じたもの全てを言葉にすることは到底難しいし、むしろ言葉にしなくても良いことも沢山あると思っている。

一方で、「これは言葉にしておきたい」だとか「知りたい、確かめたい」という時、何か確信めいた根拠のような、確かなものとしてカタチとして持つことの大切さ、心強さも知っている。



この冒頭の「取りこぼす」という言葉を久しぶりに人から聞いた時、最新の私はふと「あぁ、そこにも完璧を求めていたのかもしれない」と気付いた。


例え全部を遺せなかったとしても。パズルのピースが揃っていなかったら探すように、その瞬間言葉にできたものだけでも遺しておくことに価値がある。

「あれって、なんだったっけ?」という後から湧いてくる感情が、その時の一片に触れた瞬間、見えなかったものが見えてきたり、言葉にできなかったものが「そういうことか」と言葉にできることもある。


完璧に遺すことが、全てじゃない。

言葉にしたい時にできるように、その一片でも、今の瞬間にカタチになったものだけでも大切に、大切に遺しておく。


自分も、節目に立ち会わせて頂く大切な人にも伝えたくて、この場所に今の想いを綴っておこう。

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