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どんな「私」でも、何かを守ろうとしている大切な存在


私は二重人格どころじゃなくて、100重人格くらいあるんじゃないかとよく思う。


例えば

ある日の朝、「よしやるぞ!」ってエネルギーみなぎるやる気満々の私(通称:やったるぞうくん🐘)の時と

雨の気圧に負け、ポンコツ具合が増してどうにも力の入らない私(通常:だるだるスライムちゃん🫠)は、同じ私なのに全く違う人格だし


完璧にしたくて妥協を許さない、特に仕事や特定の時に現れる私(通称:きっちりメガネさん🥸)も

「なんでもいいじゃん〜大丈夫〜」と思う私(通称:仏さま👼)もまた、全然違う。


そういえば、20代の頃はよく「あやのちゃんって〇〇だよね」と言われることに違和感を感じてた時もあったなぁ。

「私ってそういうイメージなんだ」とか、「それはほんの一面であって、本当はそうじゃないのに…」とか。今思えば、意図せずそう見られてることもあれば、そう見られたくて立ち振る舞いを意識してることもあったし、その自分が知ってる(認めている)自分と、そうじゃない自分とのギャップに苦しくなることもあったっけ。



でも、どれも間違いじゃなくて「どれも私なんだよね」と、いろんなキャラクターの自分を面白がってるここ数年。

そして、そのどれもが大切な何かを守ってくれていることにも気付いてからは、誰かからどう見られているのかを必要以上に気にしなくなったし(あなたにはその私が見えてるんですね!みたいに、逆に面白がってたり)自分との一体感が増してきたように思う。


ここで言う“大切なものを守ってくれてる“というのは、例えば「なんでこんなこともできないの~」と泣く「めそめそちゃん😭」は、泣くことで一旦立ち止まって冷静に考える時間を作ってくれていた ⇒ 納得できる選択をしたいという気持ちを守ってくれていた人格だったように

表現方法は違っても、みんながみんな「その時の私が1番大切にしたいもの」を守るために登場してくれてる。


今日、どんな自分と出会った?

その現れた自分は、何を守ろうとしてくれてた?


どんな自分も悪者じゃなくて、実は一番の味方だったりする。そう思いながら、今日出会った自分をまずは知って、ハグしていこう🫶

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