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『永遠に頭上に』 デイヴィッド・フォスター・ウォレス 村上春樹訳

参加中の読書会のため、再読。このお話やっぱり好きだな。

終始、すんとした漂白剤のにおいが漂うように感じる。それはプールのにおいであり、性液のにおいでもある。

それは灯油の匂いが癖になってついかんでしまう感覚と似ていて、このお話もそのようにわたしの嗅覚に訴える。繰り返し読んでしまうのは軽く中毒になっているからだろうか。


内容が気に入っているかというとそうではなく、文章のリズムが好きだから読んでいる。

詩的な表現も良い。

『後退していく赤色を背景に描く鋭く尖ったラインはグラフとなり、死を迎えつつある一日の心電図となる。』

とか、

『紙コップに入った色の濃いペプシのかすかで残酷なヒント』

とか、

ペプシの方なんかよく分からないけれどなんか好きだ。この仄暗い感じがいい。


このお話を読むと、この物語のイメージを絵にしたくなる。実際にクレヨンで描いてみたけれど、ずっと納得がいかなくて、自分の絵心の無さに絶望していた。

そんな中ある日、参加している読書会の書店のトイレにある、小さな海パンの男の子の絵を見つけて、2度見してしまった。

その絵は柔らかく、この物語に漂っている透明な感じが、私の書きたい絵そのものだったのだ。私の意識がそのまま表出してしまったかのようで、こんなこともあるんだなあ、繋がってるんだなあと不思議な気持ちになった。

その絵に満足したわたしは、もう絵は描かなくていいかな。と思えた。店主の方に一応聞いてみたけれど、その絵はこの物語とは関係がないようです。


H.Gウェルズの『くぐり戸』みたいにこれからも繰り返し読むんだろうなと思える作品。

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