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文化の日

街に活気が戻ってきました。私も引き籠り生活を続けているのですが、だんだんと外出する機会が増えました。昨秋は、行動制限が解除されたら行ってみたいと思っていた美術館や博物館に行くことができました。

事前予約が必要なところがあるものの、多くの博物館や美術館が「文化の日」に無料解放されているのをご存じでしょうか。
私は昨年知り、せっかくの国民の祝日なので、東京都上野駅近隣で美術館や博物館をハシゴして朝から晩まで楽しんできました。
目当ての作品や作家がない状態で美術館に行くのは久しぶりだったので、自分好みの作品を探したり、所蔵されている理由を考えたり、普段とは違う楽しみ方ができました。

普段と違うという点という意味では、数年前、中小企業政策研究会の定例会で開催されたアート思考の講演で聞いた「世の中の半歩先を捉える」という話を思い出して、作品の時代背景を意識しながら鑑賞しました。
<https://www.shindan.gr.jp/201911report/>

厳かな宗教画を見て布教活動を行う宣教師を想像したり、ルネッサンスの自画像を見て絵筆を片手にポーズを構えている貴婦人を想像したりするのは面白いものですし、その時代に求められて、注目を集めた作品が後世に残されてきたのだろうと思います。
一方で、どんなに素晴らしくても、人の目にとまらずに、忘れ去られた作品も数多くあるのだろうなということも想像してしまいます。
学生時代に、アルバイトで作品展の監視員をやった時のことですが、入賞作品と自分好みの作品が違うということも多々ありました。入選作以外は展示されることがないので人の目に触れることすらありません。

著名な作品は、研究や分析が進んでいるので、配色や黄金比や白銀比といった構図などのセオリーはあるようです。では、セオリーを理解してさえいれば後世に残る芸術作品を創作できるかというと、そうでもないところが奥深いと感じます。現実世界を忠実に写し取るだけなら絵画や彫刻よりも写真や3Dプリンタの方が優れているにもかかわらず、芸術作品は未だに進化し続けています。

最近では、AIが描いたイラストが賞を受賞したことがネットニュースになっていました。旧来のロジカルなコンピューティング技術では到達しえなかったところまで時代が進んできたのかもしれません。
論理的思考だけでは正解を導き出すことが難しかった商品開発や経営といった分野にデザイン思考やアート思考が取り入れられてきたように「共感」がキーとなる分野でのAIや量子コンピュータの活躍に期待が高まります。

行動制限を経て、芸術は、生物としては不要だけど、人間として生きるには必要な文化だと考えるようになりました。
今こうして、文化的な営みを教授できているのは、平和かつ公共施設を運営できるだけの経済力が国にあるからなのでしょう。
少なくとも平和と文化を維持できる程度には世の役に立たなければと考えさせられる「文化の日」でした。

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