見出し画像

短命と言われる力士。土俵に生きる命懸けの戦い。そこには誇りと覚悟の歴史があった。 Vol.73

大相撲5月場所も中日を終えた。
日本相撲協会のホームページを見てみると『完売御礼』の文字。相撲のテレビ中継を見なくなって久しいが今もなお人気があるんだなと感じる。

先日、元力士の曙 太郎さんが亡くなった。54歳の若さだった。若乃花関、貴乃花関と並び平成の相撲ブームを大いに盛り上げた。
曙さん(以下敬称略)の全盛期は約30年前。
1993年頃。もちろんスマホなんてなく娯楽の少ない時代だったので、折りに触れ相撲を見ていた。

初の外国人横綱の曙は憎らしいぐらいに強かった。上背もあり 、何と言ってもリーチ(腕)が長い。貴乃花、若乃花も苦戦をしいられていた。

横綱時代の曙は

横綱はただ勝つだけではない。 下の者の力を受け止め、引っ張り上げるのも大事な仕事だよ。

と語っていたそうだ。

故アントニオ猪木さんは、
「相手の力を9引き出して、自分の力を10出して勝つ」。そうすると試合としても盛り上がっていって、盛り上がったところで勝負が決まる。」
と語っていたそう。
業界のトップは業界の繁栄をも考える。
…脱線

力士が立ち合いでのぶちかましを、毎日受け続けていては体そうはもたないだろう。

千代の富士 61歳。双羽黒 55歳。早すぎる死。
力士という職業は短命。
平均引退年齢は25歳というデータもある。

上記の記事では短命の理由を

食べて寝て体重を増やす力士の生活
無理に無理を重ねて急激に太る。その結果、心臓に負担がかかり、血管系の疾患の確率がグンと上がります。また、食べ物が偏れば血糖値が上がります。

土俵自体が危険
土俵は本当に危険です。転落すれば即けがにつながります。いまの60センチという土俵は高すぎます。

年6場所に地方巡業、力士には過酷
江戸時代の本場所は年2回、各10日間の開催でした。現在は年6場所90日制になってしまいました。さらに場所の間には地方巡業が組まれます。

不規則な食生活、体の酷使、ストレス。
命を削る要素は満載。

力士の平均寿命はどれぐらいだろうか?
そんな疑問をChatGPTに聞いてみた。

…。指示文が悪いのか??

全力士でなく歴代横綱に絞ってみる。

自力で調べてみた

戦前、戦後の横綱で分けてみた。生没が不明の横綱がいるので参考までの数字。
戦後横綱の平均寿命は戦前に比べて6歳ほど伸びている。

令和4年簡易生命表

一般の日本人男性と比べると寿命が短く、特に平均寿命の長くなった今と比べるとさらに差は大きくなる。(戦中・戦後、間もなくの平均寿命は戦死者もいるため単純に比較はできないが)

一方、戦前・戦後横綱の平均体重を比べるとその差は顕著だ。38キロも差がある。
大横綱である白鵬は入門時62キロ。しかし横綱昇進時に155キロになった。
また、寺尾も

「初土俵時に85kgしかなかった体重を100kgまで増やすために大変な努力をしたといいます。食べて 食べて、その後立ったままで壁に寄りかかって過ごしたといいます。横になると口から食べたものが出てしまうからです。

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20231222-OYTET50000/2/
當麻蹶速と野見宿禰の天覧相撲
(国技相撲の発祥とされている)
平安朝相撲節会の図
織田信長の上覧相撲
勧進大相撲土俵入之図

遡って過去の絵を見比べても力士の大型化は見て取れる。

相撲は古くからあるとされ、「古事記」「日本書紀」に記されている。宮廷の行事として、力比べ、豊作を占う儀式。
そのような歴史を経て今も存在する大相撲。現代の一般人と比べて論ずるのは無理があるのかもしれない。しかしながら、その取組みで私たちを熱狂させる力士が早くに命を失うのは惜しい。

相撲の勝敗を決める「行司」。なかでも、「立行司(たてぎょうじ)」は最高位の階級の行司。結びの一番(その日最後の取組み)のみを裁く。
その「立行司」だけが持つ短刀。「差し違え」 (間違った判定) をした場合に切腹して責任を とるために持つ。

日本書紀に書かれている相撲の起源「野見宿禰」(のみのすくね)と「當麻蹶速」(たいまのけはや)の天覧相撲。この勝負の結果は…

勝ったのは「野見宿禰」
対する「當麻蹶速」は長い戦いの末、
この試合で命を落とした。

「力士」にせよ、その勝敗を裁く「行事」にせよ、勝負に命を賭けていたのは間違いない。

※日本大相撲協会のホームページを参考に、↓も参考にさせていただきました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?