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大人になるってこういうことだったんだろうか?利己的な私が無意識にとった行動 Vol.61

人は年を重ねるごとに視野が広がっていくもの。私はずっと自己中心的な生き方をしてきた。人生において一番大切なのは自分だった。

小学6年生のホワイトデーの話。
好きな子が所属する女の子の4人グループ。その4人から1つづつ計4個、バレンタインデーにチョコをもらった。当時はメチャメチャもてるなと思っていたが、今にして思えばただの義理チョコだ。

そして、お返しのホワイトデー。
好きなあの子に堂々とプレゼントできる。

少し遠出をして大型のスーパーへお返しを4つ買った。特に好きな子には奮発。ハンドタオルの入った500円のものを買った。他の子には200円程度だったので2倍以上の金額だ。

そしてホワイトデー前日。
己の欲望に負けてお返しの内の1つを食べてしまった。当時の私にとって、ハイチュウの3点セットは魅力的すぎた。欲望に忠実な子供だった。

後に聞いた話だが、一人だけもらえなかった女の子は泣いていたらしい。そりゃそうだろう。何ひとつ彼女は悪いことをしていない。
ただハイチュウが食べたかっただけなんです。ごめんなさい、いずみちゃん。

エピソードをもう一つ。
当時付き合っていた彼女(今の奥様)と原チャリで二人乗りをしていた時もそうだった。二人乗りをしつつも赤信号で信号待ち(この辺はマジメ)をしていると、
対向車線にパトカーがくるではないか!

後ろに乗っている奥さんをおろして、
私は風のように逃げた。
奥さんは捕まり懲役1年になった。
(嘘。お巡りさんにはバレてなかった。)
後で合流した彼女は気ににもしていなかったが、やはり自分勝手なおのれに失望する。

そんな私にとって、自分以外に大切なものができたんだと実感する出来事があった。本当に些細なことなんだけれど今でも憶えている。

一人目の子供が生まれた時、子供を見た瞬間になぜだか涙がこぼれた。今でこそ涙もろくなったが、当時は泣けると言われる映画を見ても、泣けると言われるドラマを見ても涙を流したことがなかった。

そう、今思い出したが中学校1年生の音楽の授業。
お前はそれでも人間か
と先生に言われたことがあった。

本題に戻る。

子供が1歳になるかならないか頃だったと思う。椅子に座り背もたれにもたれながら子供を「高い、高い」と上に下に上げたり、下げたりして子供が喜ぶ顔を見ていた。
すると次の瞬間、
ガタッ
背もたれにもたれすぎて、子供を頭上に持ち上げながら背面から床へと倒れ込んだ。

その時どういう思考だったかは全く記憶がない。気がつくと子供を守るべく自分は受け身を取らずに、床へそのまま落ちて後頭部を強打した。

その瞬間に、自分を守るのではなく子供を守るという、無意識の反応に自分より大切なものができたのだと実感した。
痛みよりもこの無意識の反応が衝撃だった。

意識は無意識に勝てないという。
私はよく意識的にいい人ヅラをする。いい人ぶって。この無意識の行動は本当に自分でも驚きだった。

子育て中(それほど大それたことをしていないが)2歳・3歳の頃が一番可愛い。というひとが多いように感じる。
しかし私から言わせると、1歳 だろうが2歳だろうが10歳だろうが、常にその時、今が一番可愛い。今も、今が一番可愛い。

神様へお願い事をするとき。
最近は家族の幸せや平穏を願う。今は自分だけの願いをすることはなくなった。
少しは大人になれているのだろうか。
世界平和よりも家族の幸せを願う。
そんな私。

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