尖閣(せんかく)の知られざる歴史と、領土観! 『尖閣1945』 門田隆将(かどたりゅうしょう) 産経新聞出版
<『天晴!な日本人』が刊行になりました!>
拙著、『天晴!な日本人』が刊行になりました!
挙って購読下さい。
安倍さん、明治の傑物、昭和の軍人たちの魂を感じとってくれたら幸いです!!
<本文>
(12月22日記)
テーマは、「尖閣諸島が日本領になった経緯及び、戦争末期にあった、沖縄と尖閣を巡る人間の奮闘の物語」でした。
門田さんのことは既に皆さんも知っていますね。今回も綿密な取材の末に叙述していました。
オビには、「この史実が中国の嘘にトドメを刺す」「知られざる日本人の勇気の物語」とありました。
目次の一部をざっと紹介すると、
最後の疎開命令
水軍隊の誕生
阿鼻叫喚の中で
あそこに行けば真水がある
飢餓の島
尖閣はなぜ日本の領土なのか
舟を造るしかない
赤い鉢巻の決死隊
奇跡ふたたび
救出船は来た
もう一つの悲劇
ありえない奇縁
などとなっていました。
本書で扱うのは、「尖閣戦時遭難事件」です。
これは沖縄でもあまり知られていません。
1945(昭和20)年7月から8月にかけての事件でした。
現在、ほぼ毎日、「お約束」のように尖閣海域に「無法」中国の公船が入ってきて、「ここは中国領だ」とデモンストレーションをしています。
日本は、「遺憾だ」の遺憾砲での対応で、独立国の体をなしていません。
中国が尖閣の領有を主張し始めたのは、国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)が、1968(昭和43)年に、尖閣海域に石油が埋蔵されていると発表してからでした。
尖閣領有には、拙著の『中国共産党大解体』(ビジネス社)に詳しいので、買わなくても、図書館で借りて一読して下さい。
1919(大正8)年には、中国福建省の遭難漁民31人を救助したというので、中華民国駐日本帝国長崎総領事から、尖閣の名が入った感謝状まで贈られています。
尖閣は沖縄本島から約410キロ、石垣島から約170キロ、台湾から約170キロ、中国大陸から約330キロの所にあります。
1945(昭和20)年7月3日、石垣島から台湾への疎開のため、2隻の船が航行していました。
第一千早丸と第五千早丸です。米軍侵攻に備えてのことでした。
そこに米軍の空襲があり、第五千早丸は沈み、一部の人たちだけが第一千早丸に救助されたのです。
この時、必死の救助活動をしていたのが、第五千早丸の機関長の金城珍吉26歳でした。
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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー
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